選びなさい

日々

どっちもどっち

あなたの意見が誰かと対立して長らく議論している話題はあるかな。どっちが良いとか悪いとか、どっちが正しいとか間違いだとか、どっちがお得だとか損だとか、そんな対立構造がまずあって、それぞれの意見が相容れない。白黒はっきりつけられたら一番簡単なんだけれど、どちらの言い分も一理あるなぁなんて思っているといつまで経っても決着はつかない。しかし白黒はっきりさせないとすっきりしないと思っているのはあなたの気持ちだね。はっきりした方が気持ちいいのはなぜなんだろうね。その心地よさの原因として、一つは脳はシンプルを好むということだろうね。どうやらヒトの脳はそういう楽をする傾向にあって、選択肢を整理することで省力化を図っているんだろうね。

決着

長年どちらがよりベストかというテーマで考察を重ねてきた結果ついに答えが出た、なんていうととても気になる。最近ではSDGsなんていうことがマスメディアのテーマとして流行っているみたい。持続可能な開発目標とやらを一つ一つ精査して達成しているかどうかなんて各国でチェックしていく。個人的には大きなお世話だと思ったりもするけれど、そうやって貧富や教育の差を少なくして均質化していこうという取り組みだね。同時に地球に優しくという環境問題もちゃっかり組み込んであったりするのが眉唾だと感じるのは、かなりひねくれた性格のせいかもしれない。グローバリズムとは均質化と個々を尊重する流れだとは思うけれど、個々を尊重するがあまり自己責任という言葉に重みを与えてしまうのが玉に瑕だね。先人は、あらゆることは持ちつ持たれつであって、白黒はっきりさせないことを選択していた。今まさにそこから学ぶときだね。

幻想としての答え

答えがないとモヤモヤするように教育しておくのは、対立構造を生むためだったんだよ。そうやってどっちもどっちのことは柔軟に臨機応変にその時々の状況に応じて上手に乗り換えていくのが生きるということ。なのにそれを思想や意識でどっちかを必ず選ばないといけないという強迫を自ら仕掛けるのは、均質化を美徳とした教育そのものに根本原因がある。均質化は時として自由な選択を徹底的に奪う残酷さを発揮する。広く行き渡る教育とはより多くの考えをそうやって広めていくことに過ぎない。ならその教育は本当に世界中に広めていくのが持続可能な開発目標とどう折り合いをつけているのかがよくわからなくなってしまうね。わからないことはわからないままにしておくという、とても大事な生き方が今矯正されようとしているんだろうね。