決めるのはあなた

日々

病名

ちょっと体調が悪いなぁと思って病院に行くと、なら検査しましょうとなって血液の成分など調べたりする。その後数値として結果が出てそれらの成績について発表される。その時点で数値がある範囲に収まっていればなんともないですよ、という結果になって、それを聞いたらあなたは心が晴れ晴れした気分となって病院をあとにできる。けれど、案の定数値がどれか大きく逸脱していて、これはもうかなり悪いですよと告げられた瞬間に、だからあんなに調子が悪かったんだと納得をして、その瞬間あなたは病名を知りその病人になる。特に異様な光景でもなくありふれた日常風景で、年を重ねるごとにあるあるだと思っているかもしれない。でもここに現代のマヤカシが潜んでいるんだよ。もう気がついたかな。

身体の声

体調が悪いのと、検査結果は因果関係があると思いこんでいる。しかし、本当にそうなのかな。検査してほら見たことか、となればストーリー的につながるんだけど、体調が悪いと思って検査したけれど、どこも悪くない、良かったですね、なんて言われてホット胸をなでおろしました、なんて矛盾だらけでストーリーがつながらないね。なら体調が悪いと感じていたのは一体誰なのかってこと。しかも検査しただけでまだ何も治療をしてもいないのに治ったならば、体調が悪いということ自体が曖昧であっていい加減でマヤカシみたいなものとなってしまうね。そもそも勘違いのようなものだったら医者にかかること自体も必要ない。それで気がつかずひどくなったらどうするんだ、となるけれどもすでに体調が悪いと気がついているんだから、自分で病気であると判断すればいいってことだね。風邪をひいたと思って病院に行き、医師に風邪をひいたので薬をくださいといえばいい。もちろん、偏屈な医師は俺が病名をつけるんだと主張するからそうはうまくいかないだろうけれどね。いずれにせよ病名なんてそんな程度のものなんだよ。

職業

医師がいなければ患者はいない。有名なパラドックスだね。医師がいなければ病気もなくなるってわけだ。病気を見つけて症例を当てはめて患者を生み出すことが仕事、それが医師だね。いやいや病気を治療して命を助けてくれるありがたく高貴な仕事が医師であると反論されるだろう。そうであって欲しいという思いが強いあまり、医師というタイトルだけで多くの人は騙されてしまうね。医師は暗記力に優れている単なるヒトであって、特別な存在でもない。だからこそ、イレギュラーなことには対応することができないね。学者もそうだよ。学んでいる者であって特殊能力があるわけでも問題解決能力が特別に秀でているわけでもないね。単に少し詳しいだけ。なら社会の問題を考えて解決するのは誰なんだとあなたは言う。それはあなたしかいないんだよ。問題解決することができる唯一の存在はあなただけ。もともとあなたはそれらの状況を見てどうするのかの決断をする審判をやめることはできないんだよ。他人に自分のやるべきことを委ねていると苦情しか言えない人生となるよ。くだらないクレーマーはそうやって量産されているし、ほら、今も口々に文句しか言えないみたいだね。