ネガティブで行こう

日々

諦める

諦めることはどちらかというとネガティブな響きを帯びているね。それはそういうふうに教えられて刷り込まれているからにすぎない。例えば夢を諦めるなとか、諦めたらそこで試合終了だとか有名な漫画のセリフが今でも引用されている。最後までやり抜くことが美徳とされ、途中でやめるなんて根性なしという烙印を押そうとしている。さて、それは誰か。そこが肝というか重要な部分だね。あなたは考えてみたことがあるかな。諦めるのが悪だという印象操作を誰が何のためにやっているのか。そういう視点も持った方がいいね。

やめる

ずっと続けてきたから、今更やめるなんてとでもじゃないけれどできないよ、と思っているのも刷り込まれているひとつだね。やめるなんていうと途端にネガティブワールドに突入することが多い。それはやめることが悪と刷り込まれているからにすぎないね。これもやめるというのはゲームチェンジとして前向きに捉えることもできるのに、なぜかやめてはならない、やめるべきではない、続けていればいいこともある、なんていう言葉に置き換わってしまう。さて、これも問題としてあげておこう、誰がそう置き換えさせているのかな。やめるという中性の言葉に負のオーラを注ぎ込んでいる正体は一体何なのか。あなたは考えてみたことがあるかな。

失う

得たものを失ってもプラスマイナスゼロ。なのに、失うなんていうとこれもネガティブワールドにまっしぐらだね。なくした、失ったというと、まずは同情の言葉とともに心中お察ししますなんて言葉をかけられる。いやいや、もともと何も持ってもいないし、そもそも何も所有なんてできないね。所有は幻だからこそ、契約書が必要だし、覚書が必要だし、名前をかいておかないないとすぐに誰のものかわからなくなるね。失う、なくすも同じように誰かがそれは一番の災い事であり、忌み嫌われるべき事象だとあなたに刷り込んでいるよ。となると、ネガティブワールド自体が幻ということになるね。