なんぼの命

日々

命がけ

何をやるにも命がけだったはずだね。またそんな大げさなと思っているだろうけれど、明日死ぬかもよ、って言われても否定しようがない。確率がゼロではないからね。そんな中で魂を焦がして夢中に生きるからこそ命が輝いてキラキラまぶしいんだろう。ま、そんなこと言っても実感がないのは仕方がない。だって誰もが気がついたら生まれているけれど生まれた実感なんてまるでないし、自らが死んだということはわからないようにできているからね。誰だって自分の死には立ち会えないから、実感せよと言われても臨死体験でもしない限り想像すら難しいよね。だけど、あなたがこの世ですることすべては命がけであることには間違いない。

手あて

誰かに触れないとできない活動は、触れることを恐れては何もはじまらない。だから触れるわけだけれど、恐怖に怯えて触れ続けるというのは強力なストレスだね。なんでもそうだけれど、やってみないと何も起こらない。他のことが起こって大変なことになるかもしれないことも避けられない。ということは何かをしても何もしないでもリスクがいつでも潜んでいる。そんな中をあなたは気にもとめずに生きてきたんだよ。もちろんそんなこと考えてもなかった以前には戻れないんだけれど、では、今は大きく変わってしまったかというと大局で見る限りそれほどの変化はないね。接触して感染する恐れも、通勤途中で交通事故にあう恐れも、ある日突然なにか大きな厄介事が起こる恐れも、気にはしてなかっただけで今までもこれまでもなかったことはないね。なら、一体何が変わったと言うんだろう。何をすれば以前に戻れるなんていう幻想を抱かせて喧伝しているTVショーは一体何が目的なんだろうね。たぶん銭儲けだね。

対策

新しいことがわかって、それに対応するために準備をすることは必要だね。そこを何もしないでいいとは言えない。そのためにはまずは敵を知るというところから始めるのが定石かな。何をしないほうがいいとか、どういう行動に気をつけるとか、すべては理論ではなくて実践に落とし込まないと意味がない。行動を変化させることで対策は打てるはずなんだけれど、これほど時間が経っても政府からの情報はなんとかの一つ覚えで全く変化しない。それが間違っているも正しいすらも言わない。今はネットで世界の研究が見られるからそれを見て自己責任でやれということなのかな。でもわかりやすく説明することは慈愛だと思うんだけれど、なぜかそこも極端になってしまうのは資本主義社会の宿命なのかもしれないね。たくさんの人に見られたら、人気が出たら金になるという構造が皮肉なことに情報をわかりにくくしている。まさに社会に死すってやつだね。