心晴れやか
うしろめたさ
気になるけれど見なかったことにして放っておくことってよくあるんじゃないかな。しばらくするとすっかり忘れていて、思い出したときにすべてが蘇るね。ああ、そういえばちょっと前から気になっていたとね。あなたはすっかり忘れたフリをしているけれど、実は潜在意識にはしっかりと記憶していてずっと気になるままでモヤモヤしながら過ごしてきたんだよ。なんとなく気分が晴れないときは、今まで気になっていたけれど見逃してきたことを一つ一つ片付けるのが一番だね。だから、日常の掃除や片付けが一番の贅沢な時間と言われるのはそこなんだよ。現代風に言えば非生産的でムダな時間だと考えられて、掃除自体が業務ではないと一切拒否をする人もいるけれど、ちょっともったいないなと思って見ていたりする。片付けたりきれいにしたりすることは物理的なものではない。雑巾やモップの使いまわしでむしろ物理的にはそれほどきれいになっていないかもしれないね。そんなことより徐々に鬱積してきたあなたのうしろめたさを一掃しているのが本質だね。それがわかると至極の時間となる。
愉しむ
あなたはもちろんすべてを愉しむために生まれてきて、今ここにいる。だから、嫌なことや無理をしなくてもいい。そういうと自己中でわがまま放題に振る舞っていいのか、という安直な解釈や反論がくるけれど、それは本気でそうは思ってないからこその意見だね。本当にそう思うならそうしてみたらいいと思う。前提条件としてすべてをそれで愉しめるならね。そうして反論する根拠はそうはいかないことを知っていてわざと言っているだけ。もっというとそうして反論するのは、今ここを本当に愉しんだことがないというやっかみしかないね。もうすでに実践しているなら、そんな反論よりも何当たり前のことわざわざもったいぶって言っているんだ?と思って聞き流しているはずだね。
批判家
しかしながら、何についても批判的に一度考えてみることは大切だね。もちろん人が言うことを鵜呑みにしないことは、自らがどう舵を取るかということにおいて主体的に生きるという意味で欠かせないこと。その姿勢はまさに人生を愉しむためには必須なんだけれど、それを間違って解釈している人が多いみたい。おそらくそれは損得でしか物事の判断基準を持っていないんだろう。そんな損得に縛られてずるい、ずるくないというものさしであらゆる判定をしているものだから、そのものさしで測れないものは先で言った見ないふりをするね。そう、そうやってなんだかちょっとうしろめたさをいつも積み上げてしまっている。そうなると気分も優れずいつもモヤモヤしてさらに妬み恨みつらみというメガネをかけた世界がずっとあなたを悩ませている。そろそろ処分大セールでもして、ちょっと気になっていたけれどそのまま忘れたフリをしていたことを一掃してみよう。ほら、幾分スッキリしたんじゃないかな?