恐怖が希望に変わるとき
道半ば
高村光太郎の道程という詩がある。「僕の前に道はない 僕の後ろに道ができる」というくだりは有名だね。まさに人生を孤高に切り開いていくので応援してほしいという思いがそこからは感じられる。解釈をどうするかはそれぞれに任せるとしても、そもそも自然の一部であるという実感と、もともと大きな力で守られていまここにいるという感謝ともに生きるという表現を端的に表しているね。ところが現代人はそうはいかない。予め決められた道を行き、そこから逸れることを極端に恐れ、他の人と同じようにできなければ自死も辞さない。なんて不自由な生き方なんだと思うけれど、道を切り開くのは面倒なので誰かについていくのが生きるコスパが最高なんだろうね。
ほろ苦い人生
明日は明日の風が吹く。そう思えるためにはあなたが常に現在地である今にいることが前提だね。なぜなら明日になってもあさってになってもあなたはずっと過去を生きるなら、明日なんていう概念すら不要だね。多くの苦しみや辛さというのはそういう仕掛けで生じている。物心ついた頃から今になんて居たこともなく、常に後ろ向き全力疾走で辛いわけだ。過去に生きるというのは、財産や地位や名誉ばかりを一人思い出してニタニタしながら、全く前を向いていない。脇見運転をずっとしているか、目をつぶって運転しているようなものだから、しょっちゅうどこかにぶつかってボロボロになっているようなもんだね。それであなたはポツリとこうつぶやく。「明日なんてこなかったらいいのに」とね。
何に恐れるのか
大自然の中でぽつんと一人立ちすくんでいる。ああ、自然よ父よと願う。次の一歩は何が起こるかわからない。わからないからこそ思い通りに生きることができる。誰かの通った道を行くのではない。自らが道標になることで運命を切り開くことができる。風に吹かれて生きる。誰かの影に隠れて風を防ぐようなことはしない。矢面に立つと素晴らしい人生がそこに広がっているよ。そう先人は伝えているね。恐れは悪ではないし不幸でも辛さでもない。まさに夢と希望がそこに凝縮されている。何かを守るとか安全策を取るというのは今ここにはいない生き方だね。ほとんどの人が保険をかけて過去を生きている。そうして余分な苦しみを自らが選択している。あなたは何も得てないし何も失ってない。なぜなら何も持ってすらいないんだよ。そう実感できれば恐れはなくなりすべてが希望へと変わるんじゃないかな。