変幻自在
自己満足
にぶく銀色に光るバイク。どこからどうみてもカッコいい。その相棒に命を預けてひたすら走っているあなたもカッコいい。バイクもカッコいいしそれに乗るあなたもカッコいい。さらにはバイクから降りた普段のあなたもカッコいいし、あなたを乗せていないバイクももちろんカッコいい。え?もういいって?そうだね。この辺りでやめておこう。こういうのを今時では「自己満」といって自己満足を省略して言うらしい。こうして文字にするとなんだかとても耐えられないけれど、普段のあなたは自分のお気に入りの服やアクセサリーを身につけるときに同じように思ってないかな。これは至って普通の日常で抱いている感情であり思考を言語化しただけの話だよ。誰もがこっそりやっていることだから、逆に素直に表すと叩かれてしまうのかな。
唯我独尊
お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの、なんてよく冗談で話したりするね。要するに俺様が一番えらいんだからそれを認めさせようとしている。これも極端な世界だと思っているかな。でも世の中の言説を見ていると、いわゆるマウンティングだとか上から目線だとか、そしてその反応は決まって何様なんだという批判が飛び交っているね。そのやりとりをみているあなたは、冷静にどっちもどっちだと感じている。そう、俺様理論とでも呼ぶべきこういう言論は、実は毎日どんな些細なことでも行われているかなり自然な行為の一つだね。いやいや、そんなみっともない姿を晒すぐらいならじっと我慢して発言を控えて生きようなんて思っているのかもしれないけれど、そう思っている時点ですでに巻き込まれているね。
伸るか反るか
いずれにしても何かがそこにあると認識するためには、「忍法、分身の術」を使わなければいけない。だからあらゆる何かを表現しようとしたときにどうしても引き裂かれた世界が生まれてしまうね。ぼーっとしているときあなたは世界と一体化している。だから意識が薄れているね。あなたと世界の境界線がほとんど見えなくなっている。微睡んでいるときもそうだね。起きているか寝ているかよくわからない間を行ったり来たりしている。とても心地の良い体験だね。これは赤いトマトですと言うためにはあなたという世界から赤いトマトを引きちぎってテーブルの上に置き、そのトマトとそれをみているあなたがいなければその鮮やかなトマトはテーブルの上に出現しない。あなたは常にそうやって光の点滅のように、現れては消えを繰り返している。ずっとあなたがそこにいるわけではなく、必要な時だけ現れるようになっているんだね。