虚無

日々

隙間を埋めたい

ついついスケジュールを詰め込んでしまう人がいるね。隙間が空いているとなんとなく落ち着かなくなる。だから何か用事をそこに付け加えて、きれいに詰まったスケジュールを見て満足そうだね。パソコンでもそう。何か挿せる場所があればついついそこに何かを挿したくなってそれほど必要もない周辺機器を買ってきたりする。使い切るというか埋め尽くされることで充足と安心をそこに見出しているね。要するに空っぽが不安なんだよ。すかすかのスケジュールを見てあなたはもうオワコンで誰からもどこからも必要とされていない感じをそこから読み取っている。そりゃ不安になるね。他方で予定表が真っ白が良いと思う人もいる。それは空白をどう見ているかによって分かれるみたいだね。ああ、やっとずっとやりたいと思っていたことができるからラッキーと思う人は空白とは自由であり可能性の塊に見えている。一方でもう誰からも必要とされなくなって忘れ去られてしまうのではないかとドキドキしている人は、空白は絶望だと感じている。同じモノをみているとはもはや言えないぐらいの違いだね。もはやこの二人は別世界に生きているね。

経営者

小さな会社の経営者はいつも仕事があることに感謝している。仕事があるということはとりあえず会社を存続させることができ、なんとかやりくりできるからね。そういう思考の社長のスケジュールが空白だらけになったら、たいそう不安に陥るだろうね。仕事が何よりもいちばん大切なものになっているから、それが少なくなった、もしくはなくなったとなると不安はどんどん大きくなるのは仕方がないのかもしれない。でもそれは小さな会社の枠組みで見ているからそう見えているだけだね。もっと大きく自分の会社なんてちっぽけな枠から飛び越えて世界全体を見てみると、どうしてそうなったのかに気がつくことができるかもしれない。狭いオフィスの中でキリキリ胃を痛めて、従業員を叱りつけるよりももっと見なければならない大切なことが外で起きていることに早く気づくといいね。経営の意思決定は同業他社ではなくて、そもそも誰のものなんだろうか。そこから見つめ直すとちょっと気が楽になって希望が見えるね。まさに世界が変わるってやつだね。

なにもない

そもそもここにはなにもない。そのことに気づけたら世界が変わるね。なにもないから何でも作ることができる世界にあなたはいる。それにそういうことがしたくていまここにいる。不幸だとか絶望だとか思い込んでいるのもそのためだね。まるで子どもの頃に、道路の白線からはみ出たらアウトみたいな設定のゲームを大人になってから大真面目にしているようなもの。そもそも白線からちょっとでも出たらアウトっていう設定自体がナンセンスだと子どもの遊びに対しては迷いなく言えるね。ところが大人ごっこが始まった瞬間に、同じ設定なのにより深刻度を増して罰ゲームを厳しくしている。たぶんそれはゲームでいうとイージーモードは遊び飽きたからなんだろうね。でも、そもそもごっこ遊びに過ぎないよね。こういう事言うとひどく怒る人がいるのはそれだけ真剣にごっこ遊びをしているからという証拠だね。いずれにせよ、ここには何もないからこそ、遊び方は無限に広がるってわけなんだよ。