にんげんだもの

日々

成功

あなたはいつも一つのミスもなく成功することが良いことだと思いこんでいる。だからミスを限りなくなくそうとするし、間違いはあってはならないと目を皿のようにして丁寧に確認している。そうすることがとても良いことだとあなたは信じて疑わないね。間違いやミスのない丁寧なあなたの仕事は多くの人から支持され感謝されている。それを励みにまたあなたはより慎重に、丁寧に、かつより多くの人を意識するがあまり作業時間をスピードアップして効率化するという、相反する課題といつも向かい合っている。あなたのその真摯に対峙している姿勢がさらに評価されたりするので、もはやあなたの信念はゆらぎのない確固たるものと成長して、微塵の疑いもなくなっていくね。

失敗

それほどのあなたでも、ごくまれにうっかりミスをしてしまうね。言い訳すれば「にんげんだもの」という言葉しかない。そういう定形作業で失敗が許されないものは、機械に任せたほうがいいとされている。機械はミスをしないし、スピードアップや効率化を図れるし、長時間難なく作業し続けられる利点がある。さすがのあなたもそこまでは到達できないね。もちろん、それを生み出しているのも人間だから、そもそもの設計ミスが潜んでいていつ何時暴走するかもしれないというリスクは孕んでいるけれどね。その場合は史上最悪の大惨事となる可能性がある。スピードが仇となってミスが短時間で大量生産されるかもしれないからね。その点人の手でやっていることは、同じミスをするにも短時間で数多くはできないからそれが安全装置になっているのかもしれない。

諦観

成功も失敗も表面的な限定された評価にすぎないことがわかるね。そしてそれは成功も失敗も典型的なパターンがあるようでない。だから成功者のお話をいくら聞いてもなんの役にも立たないし、失敗例から学ぶことは唯一つ「にんげんだもの」という一点しかない。幼いときから限定された範囲のテストをして、その点数で評価され、成功や失敗と判定する癖がついているからそのような思考にとらわれてしまっているんだよ。学校のテストだって、国語、算数というふうに教科に分けないと点数化して評価できない。仮に人間としての点数をつけようとすれば、かなり恣意的な基準を設ける他なくなるね。さらにそれはできるだけバイアスを排除した評価であれば最終的には甲乙つけがたいものになるはずだね。成功も失敗も実はどこにもないってこと。ある視点からそれが見えるか、それとも何かが邪魔して隠れて見えないか、それを指し示しているだけのものだね。だからそれほど深刻に捉えなくてもオールOKだよ。