やり残したこと

日々

旅行したい

年老いた母が言うには死ぬまでに旅行に行きたいらしい。こんな世の中では自由に出かけるのも難しいね。でも行きたいなら行けばいいのにと言うんだけれど、世間体が気になって一歩も外に出られない。さらにツアーでないと自ら地図を見て電車を確認して乗り継いでいくことができないと思い込んでいるから、そのツアーが中止なればそれで終りとなる。本当に観光したいと思っているのかと疑うけれど、要するにお膳立てされた旅行しかしたことがないんだよ。それが旅行だと思っているから、自分で近所を分かる範囲で冒険してみたらと勧めてみるも、それは彼女の思う旅行ではないみたいね。電動自転車に乗れば坂道もすいすい走る体力が残っているというのに、もったいない話だと思って見守るしかない。

夢の国の夢

お金使わないと楽しめないという時代は一体いつからそうなったんだろうね。あまり記憶が定かではないけれど、幼い頃は泥団子を作るのが得意だった。泥団子はすぐにそのあたりの土で作られるんだけれど、こだわりがある友人は最高の泥がどこにあるかを探してそれこそ冒険の旅へ毎日出ていたよ。どこの泥が最善なのかを確かめるには、まずは当てずっぽうと勘でこの泥がいいと仮定して、実際につくってみて耐久性と光沢を見る。そこで判断して及第点をとれればOKだけれど、前のほうがよかったとなるとまた次の泥探しの旅への出発となるわけだね。今となって考えてみるとこれは毎日仕事や研究などで多くの人がやっているのと同じこと。それを泥団子に適した泥の探求というタイトルなんてつけないで自然にやっていたというわけだね。もちろん研修やOJTなんか受けてもいないのにね。

幻想

名だたる観光地に行ってみたいという欲求は実は彼女から出てきた本物ではないということがこれでわかるね。それが最高の娯楽だと信じ込まされて今も夢見ている。その場合はいくらたくさんの観光地を旅したとしてもとどまるところを知らない。だから、どう頑張ってたくさん旅行したところで最後には後悔しか残らないね。なぜなら今ここに見えている素晴らしい景色に気づくことができないからだね。日常はつまらないと決めつけてきちんと見てない。いつも目の前のことよりその先にある幻想ばかり追いかけている。実際願いが叶って結構色々なところへ行っているんだけれど、ほとんど記憶がないみたいだしね。だってそこで体験したとしてももう次はどこに行きたいなんて思っているのだから、何をどうしても上の空。しかもツアーで見ている風景は、バスの窓の外の景色であって、旅館で豪華な食事をしたとしても、立派な部屋で過ごしたとしても、食べる、寝るということにはなんら変化がないね。それは果たして夢にまでみた旅なのか、なんて言うと機嫌が悪くなるからそれ以上は言わないようにしているけれどね。行きたいなーって思える今の状況がどんなに素晴らしい時間かということに気づいたらいいのにとそばで願っているよ。