掴んでいるその手を離そう

日々

    そりゃ怖くて仕方がないよね。早くその爆弾から手を離すんだ。


最近になってようやくぼんやりとわかってきたことがある。
恐怖はその手に爆弾を掴まされたときに感じる。それがこだわりやプライドのときに最大になる。

あらゆるこだわりは捨てたほうがいい。こだわりなんてつまらないもの。即座に手を離そう。そうしてついつい別の新しいものをまた掴むけれど、それもまたすぐに捨ててしまおう。どれもこれもいずれは爆発してしまう時限爆弾になる。掴むのは仕方ない。生きる武器だもんね。でも掴んでしまったら手の中で爆発する前にすぐに離す。そうやってこだわりを捨て続けることが生きることそのもの。

危ないなら避ければいい。ああ、どんどん熱くなって今にも爆発しそう。なら変に力をいれて身構えるより、手の力を抜いて捨てたほうが怪我が少なくていい。

せっかく掴んだもの。あんなに苦労して掴んだもの。だけどなんかよく見たら今にも爆発しそう。でもせっかく掴んだので離したくない。俺の苦労がーなんて言いながらも手を離さないで持ち続けている。もうすぐ爆発するんだよと文句たらたら言い続ける。周りからみたら滑稽だ。もしかしたらもうすでに爆発したあとの残骸をぎゅっと握りしめているのかもしれない。

とにかく何かを掴むと他のものがつかめなくなる。だから掴んでいるその手を離そう。名残惜しい気持ちも愛着もあるのはわかるけれど、今までありがとうと言ってすぐに手を離そう。

したたかに生きるということはそういうこと。両手は自由に掴めるように何ももたないほうが身を守れるよ。たぶんね。