考えない

日々

思いやり

相手の気持や立場をおもんぱかって行動することを思いやりと言うね。他人の人生を生きるな、なんて言われると思いやりすら持ってはいけないのかという疑問にぶつかる人がいるけれど、それは本当の思いやりを知らないからそう思うんだよ。自分を犠牲にしてまで思いやりあふれる行動をとるのは、相手のことを考えてのことではなくむしろあなたがどう周りから評価されるかどうかだけを気にしている行動だね。思慮深い人だと思われたいというただただ一心で我慢している。それも自らにそれを課してね。いわば自作自演の悲劇の主人公というわけだから、周りから見ても苦笑いしかないんだよ。

自己中

そういう人は、概ね二元論的な行動しか取れないね。なら自分の人生を生きようと、なぜか極端に他人のことなど全く顧みずただひたすらに自分のやりたいことしかやらないようになる。それは一見自発的にそうしているように見えるけれど、実は真逆だね。他人を気にしないというフリをして他人を一番気にし続けていないと、ちょっと油断するだけで自分のやりたいことだけをやる状態が続かないね。ましてや、すぐに自分のやりたいことなんてわかる人はいないし、やりたいことなんてない場合がほとんどだね。そうすると自分の人生を生きることが暇を弄ぶことと同義になってしまう。それでも無理して周りを気にしつつ自己中を続けようと頑張っている姿は、やっぱりどこか滑稽な姿だね。

中道

気持ちや心が揺れるのは、その両端のどちらでもないところにあなたがいるからだね。だからそれは自然なことであって特になんてことのない状態だね。けれど、よくわからない何かしらの答えを出そうとする癖がいつの間にかついている。人生の選択もきっと正解とまでは言わないまでもより良い選択肢があって、あなたはいつもそれを選んできたつもりでいる。だからどっちが良いとか悪いとかという変な思考を常にする癖がついてしまっているね。そもそも選択肢なんてあるようで幻想でしかない。もちろん振り返ればいろんな思い出話の展開が広がるから分岐のように創作することは可能だけどね。人生の分岐点なんて目の前にあるわけないね。それもこれも常にあとから作られるあなただけの物語なんだから。あなたはいつも中道にいる。だから慌てないでそのままでなんの問題もないんだよ。良いか悪いか、損か得か、そう思うことこそが他人の人生を生きているからそうなるだけなんだよ。え?またわからなくなってきた?それは考えちゃったからだね。