究極の極意
力を抜いて
どんなスポーツや趣味でも、究極の極意とは何かと問うと「頑張りすぎない」ことだね。肩の力を抜いてリラックスした気持ちを維持できるかどうか、あるいは平常心でしなやかに受け止められるかどうか、などいろんな表現があるけれど究極的には「やってやる」なんて思ってはいけないというのが大筋となる。あれ?人生は頑張って努力して困難を乗り越えてその先に夢があるなんてずっと習ってきたけれど、それは究極の極意とは全く異なるね。師匠や師範はさらに続ける。最初は気合と根性でなんとか「やってやる」という気持ちで臨んでいるのだけど、それは失敗の連続という結果を体験するいい機会であったとね。ということは、一旦は真面目に頑張って力を入れてとにかくがむしゃらにやる。そのあとにそれでは頭打ちになって悩むことで「やってやる」という気持ちが完璧主義となって次のステージへのチャレンジを阻んでいることを知る。だから概ねいかに「脱力」できるかということがキーワードになるっていうわけだね。
楽しむ
そうしてどんなにマスターしたところで、そのことを継続してやってなければないのと同じだね。もちろん、上手にできるから続けなければならないということではないね。下手でも上手でもどちらでもなくても、それ自体は全く関係ない。続けてやっている原因は楽しめているかどうかだね。あなたがそれを気持ち良いこととしてやりたくてやっている状態が一番自然な状態であって、やりたくもないのにやっているとか、やりたいのにやっていないという状況はいずれも不自然ということになる。そうは言っても、やりたくてやり続けているということは、当たり前のことでは全くないね。むしろ、かなり奇跡に近い状態だね。だからもしその瞬間をそう感じることができたなら、それはそれで喜びを噛みしめるチャンスだよ。でも現実のほとんどはそうはいかない。望んでいるところと実際の状況がぴったりマッチするなんてほんのわずかしかない。それでもなんだかんだ楽しめるならそれが一番だよね。
やりたいことがない
スポーツも趣味も何もやらないしやりたいことが見つからないというあなたは、そのままでいいということだね。スポーツでも趣味でも究極の極意は「頑張りすぎず」「やってやる」なんて思ってはうまく行かないということだからね。何もないならそれが一番良いということを表しているね。やりたくないのに「やってやる」なんて思う必要はないし、やりたいことを見つけてやる、なんて思わなくていい。むしろそう考えるとうまく行かない不自然な方向へはじめから向かうことになる。だから、なんとかしなきゃと思うのもうまくいかないわけだね。なんともできないからこれで良いと思って、ダラダラ過ごせばそれでいい。ダラダラすることはスポーツや趣味と比べてかなり劣っていると思い込んでいる。けれど、これもダラダラしてやるぞって思ってやってみるとわかるけれど、かなり難しいね。ダラダラ過ごすことも、スポーツや趣味で道を極めことも、「頑張りすぎない」のが究極の極意ってわけだね。