その風はどこから吹いているのか

日々

働きたくない

働くのは生きるため。だって生きるにはお金がかかるから。これは現代社会だけだけどね。労働が必要になった時代は人類史から見るとほんの最近だけれど、そうなってしまったこの社会を生きるものは、ここから離れて暮らすことはもはや非常に困難だよね。何もせずぼーっとしているだけでお金がかかる社会だからね。最小限に働いて最低限のお金さえあればあとはあなたの自由に生きればいいという選択肢があるのにも関わらず、それに気が付きにくいように欲望を加速するしかけがたくさんある。その際たるものが「所有」だね。何かを持っていないと豊かになれないというルールを課している。これは単なるルールなのでいつでも書き換えは可能だね。最近ではそもそも「所有」というルールが大前提であるというからくりがだんだんバレてきて、例えばりんごが隣のりんごをこのりんごは私のりんごだと言いはる。それを見ているあなたは滑稽に見えるだろう。りんごは独立して単に2つ、あなたの目の前にあるだけだからね。存在に色や名前はついていない。それが真実だね。

着地点

例えばあなたは、それこそ一生に一度の大金をはたいてお家を購入する。夢にまで見たマイホームなんて喧伝しているし、それを目的として一所懸命働いている人がたくさんいる。せまいながらも楽しい我が家というのが昭和の夢であり、一家団欒、お茶の間という言葉をマスコミが使ったのも、1億総中流という言葉を生み出したのもすべてメディアだね。誰もが頑張ればそういう暮らしを手に入れることができるという家族ゲームに熱中した時代。そうやって繰り返した結果、都会でも田舎でも廃墟がどんどん増えているね。そういう我が家は家族の最大人数に最適化した作りになっているから、子どもたちや祖父母がいなくなったそれは、もはや広すぎて使い勝手が悪いものと化している。一人で暮らすにはそれほどの我が家は不要だね。そうして持て余した家屋がどんどん増えていくことになる。それでもあなたは頑なに所有を主張し続けなければならない。あなたが生きている限りはね。

お金の姿

お金はエネルギーを見える形に変換したもの。お金そのものに価値があるわけではないよね。1000円札の価値は1000円ではなく、おそらく紙代と印刷代で20円ぐらいなもんだろう。最近では電子マネーが普及しつつあるので、わかりやすく言う例えがどんどんなくなりつつあるね。今もあるのかどうか怪しいけれど、例えばスーパーのクーポン券みたいなものに過ぎないね。それも日本スーパーで使えるのが円という貨幣というルールであって、海外ではドルで払ったりする。それもドルと円は同じ価値ではなくて、その経済力というなんだかよくわからない雰囲気で価値が変動するのが今のルールだね。変動するからその差分でうまいこと得してやろうというのが外為取引、いまではアプリでもできるFXと呼ばれるもの。変動するからゲームが成立するね。まぁ、博打と同じというと怒られちゃうかな。とにかくお金を重視しすぎて生きることに注目しすぎているのが現代社会の闇なんだよ。目の前の問題に人々を夢中にさせて、いずれ生物は死んでいくという自然を見えなくしているね。地位や財産や名誉はほんと一瞬でしかないという真実がバレるとまずいことになるからね。自己責任なんていうルールは幻だしね。責任なんて取れもしない概念はあってもなくても自然は何も変わらない。大自然の中では、その風は誰彼問わず吹き付けている。