光の世界

日々

何が見える

目の前に広がるいつもの光景。あなたはそれを気にも留めずに眺めている。さて今日一日振り返って何を見ていたか思い出してみよう。さてどれくらいの風景が思い出せるだろうか。いつもの通いなれた道だし、仕事先の事務所の風景なんて隅々のディテールまで言えるぐらい知っているし、思い出すも何もすべては写真のように脳裏に焼き付いているとあなたは言う。では、その中で自分はどんな顔をしてそこにいたのかを思い出してみよう。そうすると少し俯瞰した映像になって、曖昧だけれどそれでも意外と事細かに説明できるね。あなたの目はそれほど大きな視野角をもっていないのに、2カメや3カメと映画撮影でつなぎ合わせたように映像化できるね。でも実際見ていたのはそのほんの一部しかないはずなんだけれどね。

過去という今

そうやって、少し前のあなたが今、ほんの少し前の記憶という形で常に生まれては消え、生まれては消えを繰り返しているね。まさに電球が点滅しているように、問われたらそのことにスポットライトがあたりあなたの中で映像が急ごしらえで浮かび上がる。ずっと何も問われなかったらスポットライトが消えたままで何も生まれない。今日を振り返って見てどうだった?と問われなかったら今日という日は生まれなかったということになるね。いやいやそんなことはないと思うなら、ちょうど一ヶ月前はどうだった?と問われて今のように瞬時に話せるかな。それぐらい過去というのはほんの少しの記憶で十分成立して、かつ少しだけの整合性があれば十分に今のあなたを浮かび上がらせることができるね。

今を見ている

少し質問を変えて、今何を見てるかな。スマホの画面かな。それともテレビの画面だろうか。そう言うと少し違和感があるね。例えば実際スマホの画面を見てはいるけれど、スマホを見ているというよりもそこに表示されている友達とのメッセージのやりとりをあなたは見ているからね。スマホ自体はそれを映し出す機械に過ぎないね。構造的にあなたの目は結局のところスマホから発せられる光を見ている。でも光を見ているのではなくてその光が織りなす情報を脳で処理して見ている。あなたの眼球は光の像を捉えているレンズの機能しか持っていないね。それをどう認識するかはあなたが今膨大な計算をして生み出している。とにかく光が色々出ているところを見てあなたは何かをそこに見出していることになる。なるほど、ということは光の輝きそのものが今を生み出していて、そのわずかな記憶で映像が浮かび上がる仕組みってわけだね。