光のあなた

日々

束の間の夢

すべては一瞬でしかないね。楽しい時間なんて特にあっという間に終わってしまう。喜びの時間もいつまでも長くは続かない。だからこそ、その一瞬を全身で味わっているね。そしてその気持を捨て去ってまた次の喜びや楽しみのために向かっていく姿を見ると人々は心を動かされるね。他方で苦しみや悲しみも実は一瞬のことなんだけれど、なぜかずっと引きずっているひとが多いね。それはわざわざ一瞬の感情を自らブーストして過ぎ去っていくのを繰り返し抑えている。もちろんそんなつもりなんて微塵もないけれど、知らずしらずのうちにそうしてしまっている。楽しみや喜びの時間をそうすればいいのにそれはやらずに潔く捨てているのにね。苦しみや悲しみは実は楽しみや喜びよりもあなたにとってより必要で重要な時間みたいね。実際常に苦しみと悲しみがないととたんにあなたは落ち着きがなくなる。こんな幸せなはずがないと友達を探すみたいにいつもの苦しみを手にしてほっとしている。

幸も不幸も蜜の味

すべては一瞬でしかない。光の煌きのようにキラキラ光っているだけだから見逃したらもう終わりだね。でもそれを気にすることもなくまた別の何かがきらめいている。出来事は様々な形で目の前に現れては去り、生まれては消え、を繰り返しているね。今見ているスマホの画面だって点いたり消えたりを小さな液晶の点が繰り返しているだけだね。そのつぶつぶの点滅を見つめてあなたは感動したり苦しんだり悩んだりしている。そこの光のつぶつぶはそれ自体つぶつぶでしかない。けれどそれが文字の形のシミになったり、色を表したりすることで映像としてあなたはそこで見ている。でもバラバラにしたら一つ一つの点でしかない。その粒は光るか消えるかしかしていないのが真実だね。それをどう見ているかはあなたが決めているね。

合理的

現代社会は理屈で動くことが多くなってきたね。少し前は理屈をこねくり回すと屁理屈だと叱られた。世の中理屈じゃないんだと怒られたね。でも今はどんどん合理化が進み、なんとなくそうしたなんて報告したら生きていけないかもしれない。なんとなくとか直感はアートだけの世界であって、すべてが理屈が通っていないと認められない社会になった。なったからこそ感情が支配する世界は理屈が支配する世界を支配し始める。支配の支配なんて入れ子構造になってしまっているね。楽しい時間は一瞬でしかないし苦しい時間も一瞬でしかないのに、そこの理屈が介入することで一瞬のものを増幅しているのが現代社会のあなたなんだよ。そもそもあなたという存在は理屈の存在でしかない。だからある程度のあなたという合理性を確保し続けないとあなたは存続し得ないと思っている。でも本当のあなたは点滅している光のすべての方なんだよ。その中にあなたを浮かび上がらせているんだからね。