感覚と概念
説明責任
しっかりと報告をすることはとても大切なんだけれど、まずは報告する内容にあなたが納得しているかどうかが先決だね。報告という作業になってしまっていると中身がよくわかってないけれどなんとなくしているだけになるね。やや感情的に表現すればそこに魂はこもっていない。あなたの意識なんて一番当てにならないんだから、まずは自らで記録した数字の中身が見えていないと意味がない。ただそうしなさいと言われてやっているだけのものであったら、今すぐやめたほうが合理的だね。もちろん一番の責任はそれをやりなさいと指示した上司にあるのだけれど、それは気がついたほうがいえば早く解決するはずだよ。
惰性
なぜそれをやるのか?という問いに即座に答えられない場合は、すぐさまなくしたほうがいい仕事ということで間違いない。おそらくは前任者からの引き継ぎ通りであったり、なんとなくそういう慣習だからとかであったり、それをネタにして何か仕事しているふりをしているだけだったりするからだね。なんのためにそれをやるのか、やらないとどうなるのか、という2つの問いですぐにわかることだから早速取り入れていけばいいと思うよ。そうすると如何によくわからないけれどいつもやっていることがたくさん出てくるはずだよ。仕事の合理化ってそんな隙は微塵もないと思っていたかもしれないけれど、わかっている人から見ればほとんどが悪しき伝統みたいなものばかりに見えるね。
感覚
そうして合理化を「実際にすすめていく」のにあたって大切にした方がいいと思うのは「感覚」だよ。あなたの感覚を研ぎ澄ましてもう一度無駄な仕事を見つめ直してみるといいね。すると論理以外の別の側面を吟味することができるよ。すでに無駄候補に上がっているそれらの慣習的仕事たちにも「感覚」という側面から再検証してみると、中立的な自然という理屈ではない部分が見えてくる。もちろん感覚なんて合理化では一番最初になくなってしまうものなんだけれど、感覚で違和感があれば再検討することをオススメするよ。理屈じゃない部分って実は一番自然であり中立であったりするからね。それでどうしてそんなわざわざ無駄仕事を生み出したかという背景が見えてくる。無理無駄ムラをなくす合理化と、一方でそれに対立する感覚がそこに同居しているのを見て取れるかどうか。そこが本当の意味での合理化をすすめる肝なんだよ。ここがわかってないと合理化したところですぐにまた野良仕事を生み出すからね。だってニンゲンは論理ではなく自然の一部だから仕方がないね。