無闇
明暗
暗くてよく見えないからライトを灯す。するとぱっと周囲は明るく照らされてその後ろに影ができる。光があたっている方はキラキラ輝いてはっきりと見えるけれど、その後ろに影がのびていてそこはよく見えないね。ライトが一つだと影ができるからライトを2つにして後ろからも照らしてみると今度はくっきり見えるね。これですべてが見渡せると思ってさらに遠くに視線を移す。すると光量が足りていないからずっと向こう側はまだ闇の中。だからさらに奥を照らすのにライトを大きくする必要があるね。この世をまるですべて照らしているのが太陽。太陽を信仰する宗教があるのも頷けるね。天照大神のようにこの世のすべてを照らしてあらゆるものを明らかにするからね。
苦楽
光量が大きいとよりはっきりと、光量が少ないとぼんやりと見える。そして光が全く無いと真っ暗闇で、光が強すぎると眩しくて何も見えないね。ちょうどいい光の中でずっと色んなものを見つめて生きている。するとちょうどいい加減で光と影が同時にできる。それは追いかけごっこするように同時に動くね。光源を動かしても、照らされているものを動かしても結果は同じ。影踏みなんていう遊びがあるように、追いかけても追いかけても捕まえられることはないね。それは体験としてあなたも感じていることだね。光と影、表と裏なんかは実際に見たり触ったりして確かめられる体験だけど、良いと悪い、楽しみと苦しみなんかはそれぞれの基準となるものさしによって違う場合があるし、そのものさしもあなたが取り出して触ったり測ったりできないね。
セット販売
切っても切り離せないそれらの感覚はやがて概念化して、自然界にあるもの以外にも適用するのがヒトだね。優劣とか上下とか自然界にも似たようなものがあるようなないようなことをセットにしてあたかもそれが実在するかのように扱える能力を持っている。一方でヒトは違うものを大雑把にひとくくりにする能力に優れているね。子どもは絵を描くとき一所懸命にそのものを見て捉えているけれど、おとなになって気がついたらすべてデフォルメして共通に通じるイメージになったりしている。さっと線を引いて花、太陽、空に飛ぶカモメ、雲なんかを図示できたりする。文字もそういう意味では同じだね。はてさてあなたは光を照らして何を見ているのだろう。その向こうの闇ばっかり見ているのかな。