物語を売る時代

日々

高度成長期

生活の中の苦しみや面倒ごとが解決する製品が生まれたならば、それはまさに飛ぶように売れて世の中が変わるね。ところがしばらくすると同じような製品だけど、少し付加価値がついたものとかが安くで市場に出回るようになる。すぐに真似されるからね。広く普及して今では当たり前の製品となったりすることをコモディティ化とか言ったりするね。そうやって売れて一通り行き渡れば、残念ながら飛ぶように売れることはなくなってしまう。メーカーは次のヒット作を夜通し考えるわけだね。それもすぐにライバルに真似されてしまうからたいていは秘密裏にね。大急ぎで開発するのは、最初に出したところが総取りだからだね。開発競争とは、こんな同じようなことが繰り返されるってことだね。とにかくまだまだ便利になるモノがない状態から、便利な製品がある、に変わると革新的に世の中を変えることができた時代があった。

デフレ・低迷期

一通りモノが行き渡ると、今度はモノを精査して整理する段階となるね。どんどん機能面で革新的なものがなくなってしまう代わりに、2つの製品が1つに合体したりして変化を訴求する。一番顕著なのがこれまでは旅行へ行く時にカメラ、三脚、レンズ、携帯電話、音楽再生用機器、イヤホンなんかが必須だったんだよ。ところが今はスマホひとつですべてが揃うね。昭和な頃の旅支度はどうしてたんだろうというぐらい荷物は減ったはずなのに、未だにスーツケースや旅行かばんがパンパンになっているのはそれらの代わりになにか別のものが必要になったんだろうね。で、もちろんカメラ性能やミュージックの音質とか色々な性能差があるんだけれど、それなりにまとまっていて特にこだわりがなければ不満を言うレベルではないぐらいまでの品質になっている。買い換えるときはバッテリーが交換できずに死んだときか、落として粉々にしてしまったときぐらいだね。それぐらい性能的にはもう十分なんだけど、ユーザは贅沢にも今以上の何か目新しさはいつも求めてはいる。でも具体的にこれといえるほどの渇望感はないことが多いね。

結果から過程へ

そうすると、製品として完成されたアウトプットには特別な差異がなくなってしまう。そして似通った製品がたくさん市場に出回るようになる。なので今では製品そのものの性能で売ろうとするのではなく、その製品がどうしてその形や性能になったのかを開発過程から未来のユーザと共有することに付加価値をつけるプロセスエコノミーなるものが主流になっているね。特にクラウドファンディングとかも増えてきて、こんな製品をこんな思いで作ろうと思うけれど、共感してくれるひとはこの指止まれという流れになっている。今まで製品開発なんてトップシークレットだったものを同じ体験としてユーザと分かち合うことで、製品そのものというよりもそれをどうして生み出したのかという哲学に価値を見出すようになるね。いわば信者ビジネスと揶揄されてるたぐいのものに近くなるんだけれど、アウトプットである製品の差異が頭打ちであれば、プロセスというかフィロソフィーを公開して共有する形に変わるのは無理もないね。もはやモノを売る時代は終わりつつあるのかもしれないね。