天にいるあなた

日々

楽しさ

仕事は辛いもの。遊びは楽しいもの。嫌なことや好きなことを分けると、いやなことをしている時は辛くなるね。だから好きも嫌いもわけないほうがいいと言う。それだと区別もなくなって全部普通になってしまうね。楽しさを多くして辛さを少なくするだけなのに、そのメリハリをつけること自体がもう不幸の始まりだなんて、なんて生きづらいんだろうね。本当にそれしか方法がないのかな。楽しさだけを追求する方法は残されていないのだろうか。

清濁併せ呑む

山と谷があるから、急な坂道が避けられないね。長い上り坂を登れば辛さを感じ、急な下り坂を下りるのは楽しさを感じる。上り坂を登って頂きに到達すれば目の前に素晴らしい景色が広がる。けれどそこから下って谷へ行くとなんの変哲もない薄暗い麓の村しか見えない。それらすべてを受け入れることができれば、それもまた我が人生と思えるだろう。楽しさだけを強調するから辛くなるんだよ。辛い時こそ楽しめるかどうかが分かれ目だね。もちろん辛いのに楽しいふりをするのではないね。そんなことをしても結局は痩せ我慢しているだけで、楽しくはないことをあなたは一番よく知っているね。

誰が辛いのか

さて、楽しいことが大好きなあなたは、楽しいことは良いことだと思っているからだね。辛い嫌な時間はできるだけ過ごしたくないと思っているのはそういう考えが根底にある。なら、辛い嫌な時間という色付けや区別をしているのは誰なんだろうか。それを探してみればすぐに見つかるね。それを決めている判定委員長はあなただね。ということはあなたは自ら決めた判定によって辛い時間を過ごしていることになる。どうしようもない事情によってそれは避けられないと思い込んでいるけれど、外からみれば自作自演に近いね。だからそれをやめるのではなくてそれをひっくるめて楽しめばいいってことになる。辛いときは思いっきり凹んで、楽しいときは目一杯弾ければいいね。そういうメリハリの中にあなたのすべてがそこにあるんだからね。なぜならずっとあなたは上り坂も下り坂もない天空からそれを眺めているから。目の前だけしか見えないならそんな悩みすら持てないよね。