そうなっている
自然な態度
いろんな関わりの中で暮らしがある。その暮らしで必要なことを必要なときに対応している。だから大事も起きないで今日も過ぎていく。行為自体を俯瞰して見ればそういう活動をしている動物の一種となるだろうね。あなたが何も知らない原生林で見知らぬ動物を見かけて、それをずっと観察していたらどういうレポートを作成するかな。捕食活動、生態系、生息地、環境要因、天敵などを項目にして日々観察に励むだろう。その目でヒトという哺乳類がどういう生態であるかをつぶさに見てみるといい。大きな仕事をなし遂げたと自慢げに語る初老の男性も、日々家事に追われて庭を掃きながら近所のお友達と談笑している若き女性も、みな生きるのに適切な行動をしているだけのように見えるね。なにか話をして楽しそうなオスと身の回りを整理しているメスってわけだ。
社会的動物
ところがそれが社会の目と価値観がそこに加わるとそうはいかない。先の初老の男性の自慢話には、苦しめられた当事者のあなたの会社の倒産話が含まれているからね。それを見かけたあなたの心中は尋常ではないだろう。庭先で世間話をしている若き女性は、元あなたのパートナーで今は違う人と幸せそうに暮らしている様子だったりすると、それを見かけたあなたはひどく動揺するね。どうしてこんなことになったのだろうとあなたばかりに降りかかる不幸を呪うのかもしれない。そうやって自然ではなくなった途端にあなたはもがき苦しむことになる。それが社会的動物の宿命でもあるように刷り込まれてきたからね。
馬鹿になろう
他人に気を遣えて、忖度もできて、先回りの段取りも完璧にできることを利口というならば、たまには自然に還るのもいいと思うよ。それを社会は馬鹿というならばそれも致し方ないね。でも、そもそも馬鹿と呼ばれてとても許せなく腹が立つのはなんでだろうね。誰か一人があなたを馬鹿にした、それだけの現象でしかないのに破壊的な行動をしかねないほどの感情を揺さぶるエネルギーがそこにあったりする。でもあなたは自然科学者で動物の生態系を調べている学者であるならば、その現象の解明にはかなり時間が必要だったりするかもしれない。どうしてそこでそんな行動に出るのか。多くの議論を呼ぶ現象かもしれないね。そんなことであなたの苦しみはできているとすれば、それこそ馬鹿馬鹿しいとは思わないかな。苦しみってどうして感じるんだろう。それはあなたが特別扱いを受けないと気がすまないというところに発生源があるね。あなたはすでにあなたのことをスペシャルだと思っているんだからそれで十分じゃないかな。それ以上はキリがないことも知っているはずだよね。