今日がないと明日はこない

日々

あの頃は良かった

おかしなものであなたは、歳相応に見られるのを嫌がりどちらかというと実年齢より若く見られるとうれしいと言う。また年齢を聞いたりそれについて語ることはタブーだという社会のしきたりというか礼儀みたいなものがあるね。それをどう捉えるかが大問題らしいね。もういっそのこと年齢なんて自分で感じるがままに決めることができれば一番いいのかもしれない。なぜならたいていの人は生まれた瞬間のことは覚えていないからわからないわけで、となるといつ生まれたとかカレンダーと時計をみて確認したわけではないね。それなら好き勝手にだいたいこれぐらいかなと思えばいいね。年齢にこだわるのはその後社会に決められたシステムで学校教育を受けるようになってからだね。

教育システム

現代ではある年齢に達すれば親が子供に学校へ通わせることになっている。そこでおよそ1年単位のスコープで生まれた子どもが不自然に集められることになる。そこで競争させて優劣を決めて評価され、本人や親がその出来具合に一喜一憂している。なんだかそう考えると出荷前の家畜のようだね。もちろん出荷なんてされずに社会に出て立派な人になれるかどうかの評価だとされているけれど、やっていることはよく似ている。優劣を決定するにも年齢が大きく違えば当然有利不利が生まれるのでそこをできるだけ同じにして押し込めている中で、友情や憎悪を体験することになる。それがいい思い出だとか思っている人が大半なのにはわけがある。本当はとても異常な風景だったんではないかと振り返る人は社会的落伍者であって、社会を牛耳っている学校教育で優秀だった人には思いもよらない発想っていう構造になっているからね。

青春

それをマスメディアが青春と呼んで人生の若かりし頃の夢や希望を抱きつつも未熟がゆえの悪あがき時代として、いろんなドラマや作品によって特別な時間としてもてはやした。朱夏、白秋、玄冬など陰陽五行説に由来した季節に紐づく色として若いことを表す青なんだけれど、その他にも青二才とか青臭いとかあまりいい意味ではない言葉もちゃんとある。青春という季節を表す言葉だけ特殊な扱いを受けているのは、それが良いと刷り込むことで何かをコントロールしているとも言えなくはないね。60代の人は50代が良かったといい、50代の人は40代が良かったという時代に、青春時代だけはどの世代でも特別なものとされているのはそういうわけだよ。さらに90代になってもう若く見られるなんてどうでもいいと思えたらそれはその洗脳からようやく抜けだせたわけだね。今が最高で今を生きないと明日は永遠にこないということ。だってずっとあの頃は良かったと思って生きていると、ずっとこれまで今はどこにもなかったことになるからね。