無理ゲーのチート
ゲーム実況
他人がしている人気最新ゲームを傍からずっと見ているだけのネット配信番組が大人気だね。ゲームをやらない人からすればそんな人がやっているのを見て楽しいのかねと呆れているだろう。でもそれは必ず人気が出る要素が含まれている。トラブルを解決する様を一緒になって共有していることだね。上手にクリアしていくのを自分ごとのように思って見ている。ときには冷静に、ときには大興奮してね。何か滑稽なことだと思うかもしれないけれど実は現実でもそれと全く同じことをしてあなたはいつも右往左往している。ゲーム実況の中にあなたは人生の縮図をそこに見ている。そうなると沢山の人が夢中になるのは理解できるね。
ノートラブル
トラブルなんて避けたいし、できれば何事もなくスムースに人生を終えたい、なんて本気で思っている人は実はいないね。トラブルや不幸は嫌だけれどそれがないと楽しさもないのでそこそこあった方がより充実した人生だと思っている。でも不幸は良くないと刷り込まれているせいか、極端にアンラッキーを先回りして封じ込めようとしているね。ゲームで言えばそれはチート行為だね。ずるいことをして楽しいことだけを受け取ろうとしている。でもやってみたらわかるけれどチート行為をしているゲーム実況は見られたものじゃない。だってゲームの主人公は無敵なので何をやってもノートラブル。プレイヤーもそれが面白いのならゲームをやらないのが一番ノートラブルだね。チートしてでもクリアするのは、現実の社会になぞらえてなにか最適解があるかどうかを探るためにやっている。ということは実際にはチートを外してやってみるための予備調査というわけだね。
クソゲー
生まれてから何一つうまくいかなくて、ゲームのようにチートコマンドも使えなくて人生積んだ、みたいなことを言う若者がいるらしい。それだけ生きることに意味がないと思ってしまうのは本来あるべきところにいないからだね。本来あるべきところというのは社会的なポジションやステータスではないのに現代ではその観念的な部分ばっかり強調されすぎている。人生なんてクソゲーなんだから、クソゲーなりに進めていけばいいし、無理ゲーなら無理してクリアしなくてもいいね。ゲームは観念の部分だけで構成されている。肉体は自然の一部でありまさに環境と同一だね。大げさに言えば宇宙と肉体は同じもの。だから本来あるべきところはそこであって、クソゲーで無理ゲーな観念の世界ではない。そこに気づけばクソゲーも電源を切れば目の前からなくなる。それは肉体を傷つけたり滅ぼしたりすることなくできることだよ。まずはそのゲームをやめてお茶でも飲めばいい。そのアクションが人生ゲームのチートコマンドだよ。