あなた限定
自由・平等・平和
観念でしかない自由とか平等とか平和に反対する人は少ないね。どちらかというと正面切って反対しづらいはずだよ。これらの特徴は自然界にあるようでなく、ないようであるということ。つまり、現実にありそうなことを指し示す言葉なんだけれど、実際に観察できるかというとゴーグルをつけて視野を限定すれば一瞬見える幻みたいなものだね。自然界には自由があるようでよく観察するととてもルールに縛られた生活を送っている動物がいたり、弱肉強食の世界だからある意味食べる・食べられるという部分では平等に見えるけれども、生まれたときから個体の大きさによって決定的な能力の不平等があったりする。平和な仲睦まじい雌雄のツガイがいると思ってみたら実は全く違ったりで、どこにもありそうで実はどこにもないという言葉なんだよ。だから理想を表す言葉でもあり、実際にある一部分だけ切り取ればあるような気がする架空の言葉だね。
悪と正義
悪はやっつけてもよくて、正義は命に変えても守るべきもの。そう教えられてきたね。それも同じで悪は悪だから懲らしめて良いというふうに自然に思っているつもりでいるけれど、何が正義で何が悪と区別するには、またゴーグルをつけて見える範囲を狭めないといけない。全体を見てしまうと悪の元があって、さらにその原因が連鎖していて、ずっと関連している流れの一部を切り取ってでしか判決を下せないね。原因はどこにあるのかを考え始めて追いかけると、きっと犯人が見つかるだろうと思っているけれど、実はそれはキリがなくてどっかで妥協していることも一方で知っているね。だからルールとかで決めておいて、瞬間的な違反について裁くことしかできないわけで、何が正義とか悪とかドラマのために区別しているだけで、実は裏ではつながっていることをすでに気づいている。
連綿と続くなにか
笑顔が素敵なタレントさんでも、動画を中途半端に止めて静止画にしたら変顔の瞬間があるように、すべては連続したなにかであるのにも関わらず、なにか評定や判断をするには限定した部分に区切らないといけないね。あなたが今幸せに感じていることも、辛いと思っていることも同じなんだよね。今の現象のどこに注目してどう切り取って区別するかですべてが決まっているだけなんだよ。だから幸せも不幸もないとかよく言われるのは、動き続けている車の中で流れ行く景色に採点しているようなものだということ。そのこと自体をお楽しみにやっているのなら何ら問題はないけれど、そのお遊びの結果を深刻に受け取ってはならないね。目の前のコップの水はどこから来たのだろう。そう考えてみるとすぐにわかるよ。その水がうまいとかまずいとか判断しているあなたはそもそもの水の由来を無視せざるを得ない。そういうことだね。