路傍のネコ
寝て過ごす
ずっと寝たり起きたりを繰り返して、微睡んでいるときが一番幸せだね。いや、そんなことしていたら生き馬の目を抜くこの現代社会に生き残ることができない。常に日々勉強しないとという強迫観念にとらわれているあなたはそんな過ごし方がもったいなくて仕方がないね。でもたまの休日、何もしないでぼんやり過ごすことがどうしてそんなに悪いことに思えるのだろうね。とにかく現代社会における人という生き物はスキマ時間までぎっちりスケジュールが詰まっているのが当たり前になっている。仕方がないので何もしない時間を確保するためには、スケジュール帳に予め何もしないというスケジュールをいれなければいけないという、なんだかよくわからない状態になっているね。
生きる価値
そうやって活発に活動している人は社会にとって有益で認められる存在となるね。一方でそういうモノサシで人を測るようになると活動レベルが低くなったお年寄りや障害をもっている人は生産性が低い存在として「お荷物」として評価されてしまう。人も機械のように生産性が高いものは価値あるものであり、生産性が低い、もしくはそもそも消費ばかりしていると不要の存在とか言っている時点で狂った社会だね。でも言っている当人は気がつかない。それは自らが生産性が高く、いずれ生産性が低くなるなんて想像だにしていないからね。ましてや、消費するばかりの存在になるくらいなら自ら人生を終えようなんて思っているのかもしれないね。そこが洗脳なんだよ。いつもそうやって強迫してくるその正義は一体誰から習ったのか。そこを再定義したほうがいいね。未だに小学校の講堂なんかに「素直、真面目、勤勉」なんていう標語が書かれてあったりする。今見たらゾッとするんだけれど、その当時はそれに違和感がなかったね。
お互いさま
生きることは助け合って色んな体験をしていくことにある。だからつねにおかげさまだしお互いさまなんだよ。あなたはわたしであり、わたしはあなたであるということが生命体の根幹だね。生命というものはそういう循環とエネルギーが何一つ減ることもなく連綿とつながっている様子を言うんだよ。でも大抵はあなたの生死を問題にしてしまうからおかしなことになる。死ぬことが悪になって久しい現代社会の価値観は、どうやら誰かに都合のいいように操作しやすいみたいだね。個体の死は自然現象であって、朝が来たら夜が来るのと同じことだね。リスクゼロ社会になって、ほんの少しの危険も許せない時代になりそれをどうにかするのがお上の仕事だと決めつけているから、逆にあなたの命はお上に首根っこ掴まれて身動き取れないようになっていることにまだ気づいていないね。今日という日をのんびり寝て過ごすことが至上の幸福であって、それを体験しようと奇跡的にあなたはそこに生まれてきたというのにね。なんとなくわかっているとは思うけれど、あなたも年老いて生産性がなくって、あなたの意思とは関係なくいずれそうなるんだけれどね。できるなら元気なうちにのんびりを楽しもうよ。