優しさと覚悟

日々

鏡の向こう

昨夜はうとうとしていたら知らずしらずのうちに眠ってしまったのだろう。いつぐらいに寝てしまったのかちょっとはっきりしていない。おもむろに起きて洗面台へ向かう。いつものように歯ブラシを手に取る。鏡の前に立って向き合うと、びっくりするぐらいに老いさらばえたあなたが鏡の向こうに見える。もはや誰かもわからないぐらい年寄りだ。あなたは薄々そうだろうと思っていた以上の姿がそこにある。いつ眠ったのかわからないのと同じように、気がついたら思っていたあなたとは違う姿がそこにある。正直びっくりしたけれど、驚かないふりだけは上手くなった。毎朝の歯磨きという日常は、実は自分磨きの時間かもしれないね。

自問自答

しばらくじっと見てはっと気がつく。ああ、そういうことかと。知らないうちに生まれて、知らないうちに老いて、知らないうちにやがてこの景色ごと消えてなくなることをね。あなたの知っているあなたは、なぜか飛び回っていた若きあなたの姿のままいつまでも記憶として脳にこびりついている。これが自己ってやつかとなんとなく感じている。起きてなんだかんだしている時間が多いことを経験というならば、地位や名誉や財産なんて屁の突っ張りにもならないことにようやく気づいているね。どんどんそうやって自慢していた友人も、そうであっても謙虚だった憧れの先輩も、いつの間にか気がつけばもう今生では会えそうにもない。そうやってあなたの自慢や誇りが一つずつ剥がれ落ちていく経験を何度も重ねてきた。それでようやく気がついたわけだけれどね。

覚悟

そうやって人は覚悟をしていける。それが生きることそのものなんだよね。老いて死す生物としての覚悟があなたを永遠の存在にする。現代社会ではそれを否が応でも社会システムで高齢者というレッテルを貼られて早く死ぬことを迫られるだろう。社会というものを刷り込まれて、わずかな金持ちレースで競争させられ、少しばかりいい気になっていたことがまるで夢のようだね。それでも死ぬまで生きる覚悟があれば、最期まであなたはあなたを演じ続けることができるから心配しないでいい。ただ一つだけ気になることがある。そうやって自己責任という渦中で他人に厳しい社会の中を生き抜いてきたけれど、それでもあなたはあなたらしくどこまで他人に優しくできたかどうか。その一点だけが後悔として残るね。小利口な計算高い見かけの駆け引きの演出での優しさではなく、見返りや打算のない本当の優しさのやり取りをどれだけできるかを試されるためにあなたはそこに今立っている。そのことが鏡の向こうのあなたがあなたに告発している。それを見て今朝のように、「ああ、そうか!」とわかることが覚悟なんだろう。あ、気がついたらもうこんな時間。急がなきゃ。