生きてんだか死んでんだか
眠り続けている
あなたは朝起きて顔を洗って毎日活動しているはずだね。ところがそれがたまに夢の中ではすっかり支度が整っているけれど、はっとして起きたら二度寝していた、なんて経験もまれにあるね。その時血の気が引いて慌てて飛び起きて事なきを得たね。まさに寝ぼけて夢の中でしっかり身支度を整えていたつもりだったというわけだ。でも大抵は眠いながらも起き上がってそこから一日が始まっている。意識や現実と夢の中を区別するのは太古の昔からとても興味のある話題の一つではあるけれど、今こうして活動しているから夢ではないと認識しているんだけれど、認識しているだけで証明は難しいね。私は起きていると言い張っている夢の中かもしれない。単にそこで目を閉じてみると何も見えない状況を簡単に作り出せる。でもそこで何も見えないから眠っているとは思わないのは、音が聞こえたり、温度を感じたりする。もっと言えば呼吸をコントロールすることもできるし、心臓の鼓動も感じることができる。もちろんそこに意識を向けたらという限定付きではあるけれども。それが意識活動があって生きていて脳が覚醒していると定義されているわけだね。
意識を失う
ところが、熟睡すると毎日意識を失っていることになるね。あれほど大切なプライドや財産なんかもその間はなくなる。意識のない中でそれらを持っていられないということは、意識の中にしかないものだからだね。でものどが渇いたり腹が減ったり、トイレに行きたくなるとあなたの意識はきちんと活動をはじめてサポートするね。ようは目覚めるということ。でもそれが終わったら眠くなる。不思議なことになんの規制もなければ、なにもないときは眠くなる。それは意識を失おうとしているとも言えるね。うとうとしているときが一番幸せを感じているね。この世とあの世を行ったり来たりする至福の時間とも言える。微睡みの中で意識はあなたに夢を見せることもあるね。睡眠とは人間活動においてとても大切なのは、意識活動そのものがあなたが思う人生そのものだからだね。生命体としてあなたが生きる死ぬということよりも、最近ではもはや意識活動がすべてになってしまっているね。AIの一部のデータとしてあなたがずっと行き続ける可能性もゼロではない時代だからね。
リミッター
起きているか寝ているかわからない状態では、生きているか死んでいるかの意識の状態を垣間見ることができる。そこですっかり熟睡しているならばそこにいつもこだわっている何物の必要がないということにも気づくね。眠る前にたくさんのお金を枕元においても、この世の中でとびきりの地位を築いて家来を侍らせても、あなたが眠ってしまえばそれらはどこにもない。仮に人生の殆どを寝て過ごしているならば、それらはほとんど必要がないということになる。例えばお金を大切に思っているね。それを得るには大変な苦労がつきものだからそう思っている。簡単に手にできるものには価値を見いださない。そこに意識のえこひいきが見え隠れする。しかもそれは生きる本能で獲得したものではなくて、すべては教育によって刷り込まれたものだね。お金に対してどれだけの特別視をしているかを試すには簡単な方法がある。コンビニなどのレジ前にある募金箱にいくらだったら気にせず入れられるか試してみたらいいね。10円玉だったら枚数を気にせず邪魔だからジャラジャラと持っているすべてを入れられるけれど、500円玉だとそうはいかない。お札をそこに入れる勇気がない。ということは、あなたがお金に特別視しない範囲は10円玉ジャラジャラレベルということになるね。それが石ころだったらそういう感情なんてないね。そうやって物質的にはなんでもないことを特別視してあなたの意識に制限をかけて意識世界を創り出しているというのがあなたの人生のからくりというわけだね。たまにそのリミッターを外すとあなたの人生が「書き換わる」瞬間になるんだよ。