ここにいるよ

日々

西へ東へ

朝早く目覚めて、外を見るといい天気。ああ、今日も晴れたかとコーヒータイムの準備をする。お湯が沸くまで少しばかりの時間を遠くの景色を見ながら何も考えずにただじっと待つ。ゴーっというガスコンロの音と鳥の囀り以外は何も聞こえない。そうこうしているうちに音が変わる。低くこもった音をお湯が発する。ゴゴゴと細かく震え出したらお湯が沸いたサインだね。そのお湯を今朝は面倒なのでインスタントコーヒーが入ったカップに注ぐ。するといつもの香りがあなたを至福の時に導いてくれる。さて、今日はどこへ行こうかなとあなたはあなたの頭の中の地図に検索をかけている。

現在地

それをするにも、まずは現在地がわかってないと何も始まらないね。今あなたがコーヒーを飲んでのんびりしている場所はそもそも地図上ではどの場所なのか。それを見失うと今日はどこに行こうという問いは成立しない。どこへ行こうにもまずは今ここがわからないと当てずっぽうに動くしかなくなるし、そうして辿り着いた場所がどこなのかもおそらくはわからない。現代社会においてそういう経験は珍しいからそういうのもアリよりのアリとか思っては見るものの、せっかくの思い出の記録も残すことができないから、できればそんなことはゴメンだね。そんな時あなたはどうするだろうか。まずは周りを見渡して目印を探したりするのかな。でもそういう時に限って現在地を特定できる何かが見えなかったり、そもそも見渡す限り砂漠のように特徴もなかったりするね。ランドマークも建物もそもそも舗装された道もなかった昔の人は、太陽や月のような明るい天体と大きな岩や大木を目印にして今自分がどこにいるかの手かがりとして頭の地図を作ったんだろうね。

居場所

どこにいるか見失ったあなたは、しばらくして思う。ここがどこかわからないことがどうして不安なんだろうかと。現在地と地図がないから困り果てているんだろうけれど、そもそもその地図も現在地を表すマーカーもデタラメだったらそれを無条件に信じてきたすべてが茶番になるね。間違いなくあなたはそこにいる。そしてコーヒーを飲んでいる。そこがあなたの居場所だね。ああ、どこに行こうとするからよくわからなくなるんだったら、どこに向かうかを決めたらそれでいいんじゃないか、そう気づく。そしてあなたはぼんやりあっちに行ってみようと思っている。それはなぜと自問自答するけれど、その自問自答も特に意味がなくてただ単にあなたはそう思ったからだよと笑っている。そう、それが生きること。そしてそれは奇跡的にあなたはそこにいるということ。それだけで完結しているんだ。その瞬間、なぜだかあなたは少しだけ笑っている。さっきまでの不安はもう消えたようだね。