ここには何もない

日々

見えないチカラ

人生のほとんどは見えないチカラによって決まっている。なんて言うとなんだか胡散臭く怪しい話に思えて警戒するかな。変な宗教に勧誘されるのは現実としてあるけれど、そこにハマってしまうタイプの人にはやはり他の人とは違ったなにかがあるのかな。それとも誰もがもっているなんだかよくわからないポイントがあって、そこになにかが刺さればあなたも同じようにそうなるのかもしれない。ほら、怪訝な顔していたあなたもやはり、見えないチカラで操られていることをなんとなく知っているね。知っているけれどその正体のしっぽをつかむことができないからそうやって警戒しているんだよ。全く知らない、気がついていないならその変に緊張するなにかも発動しないはずだね。薄々は感じているけれどそこから目をそらして恐る恐る過ごしているのが本音というわけだね。だから今も人の性質を悪用して変なビジネスにしている輩が後を絶たないってわけだ。

現実に対処

見えない世界の反対は見える世界だね。見える世界は現実と同じ意味で使われることが多い。多くの人が現実を見なさいというのは、あなたが理想の夢物語ばかり追いかけている姿を戒めるために使われることが多い。夢と現実の何が違うかといえば一番わかりやすいのはあなたが見ている世界が目の前のことが、それ以外かという違い。だから今を見ているのか、過去や未来を想像しているのか、そこが一般的な区別になる。ところが、あなたが今見ているその世界も厳密に言えば少し前の過去であり、今は厳密には見られない構造だね。でもまぁ直近だから今としておこうという定義となっている。あなたはいつも過去の中を生きていることは頭の片隅においておくといいね。未来を妄想しているときも実は過去。すべては過ぎ去ったあとにあなたはそれに気づくというタイムラグを避けることが出来ない。例えば今太陽が光を発しているようにみえるけれど、あなたがいつも浴びているその光は8分20秒ほど前のものでしかない。

触れ合う瞬間

でもまさに今と定義していいことがある。それは何気なく何かと触れ合っている瞬間だね。厳密にいえば感覚器官を通して脳で処理をして感じることができるという近代科学に基づけばすべて過去となる。でも面白いもので、見えてから脳で処理して運動神経から筋肉へ司令をだして動き始めるタイムラグを予測して先回りしてピッタリ合わせることができるね。だから時間軸としてはすべて過去なんだろうけれど、まさに予測の予測で先回りして飛んでくるボールをキャッチすることができる。しかもそれがすべて刺激後の脳の処理だけで生まれる架空の映像だとしても、それをそんな風に合成できるところは驚異的な能力だね。足が大地と触れている情報、動き始めたときのあなたの体にあたる僅かな風圧の変化、実際にあなたの筋肉が発する力の大きさと方向、少し汗や慣性で滑る移動量、すべてがシンクロしたときだけその奇跡が起こるんだけれど、そんなのあなたは何も考えずにやってのける。その瞬間におそらくあなたはこの世のものではないなにかになっているんだろうね。その瞬間、実は見えないチカラの世界にあなたは触れている。だからその恐るべしパワーを知っているからこそ、見えないチカラを見ないようにしているんだよ。