あなたを生きてる?
気にしない
いつもあなたは他人の評価が気になって仕方がない。もうそうやって生きているもんだから他人の評価を気にしているということすら忘れてしまっているね。だから世間の考えはあなたと同じことを言っているように勘違いしている。何をするにも何を買うにも何を食べるにも、それが世間で流行っているとか今どきとか、そして評価がどれくらいでおそらくそのうちに消えてなくなるということすら、あたかもあなたの考えかのように話しているけれど、それらはさっき見ていたYoutubeで仕入れた情報だね。そしてそういう世界があなたの前にできあがっていて疑うことすらない。
我が道を行く
自分の人生を生きるとか、我が道を行くというような生き方はダサいと思っているね。それは自己中でバランス感覚に乏しく、共感性もかなり劣っている人の特徴だと信じているからね。でも、好きなことを好きといえるためには、誰がなんというかとかは関係ない。それが本質だし、それを自己中だの老害だの騒ぎ立てる社会がおかしいし、もしそういう社会だと思いこんでいるのはさっきまで見ていたツイッターのせいだね。ツイッターをさらりと楽しめるには、語彙力と短文からの文脈を類推する力なんだろうけれど、今は憎悪増幅装置みたいに成り下がってしまっているね。つまりノイジーな世界から純粋に聴きたい音だけを抽出する力が必要だね。ちょっと油断するとノイズがあなたの意見とすり替わるので少し扱いを慎重にして距離を置いた付き合い方がいいね。
乗っ取られてる
今まではテレビやラジオから流れる有名人の意見を自らの意見と勘違いする人が多かった。大好きな有名人の発言をあたかもあなたの意見のごとく人に話すことで、あなたはその有名人の一部かのように錯覚できるからね。今やテレビは40歳以上には多少の影響力を持っていはいるけれど、10代ぐらいの若者にはネットメディアが主流になっていてテレビのことはあまり知らない。そうやって影響されるメディアが分断されることで価値観は多様性を帯び始めて社会が少し混乱しているね。いずれ旧来の世代が新世代と入れ替わるので心配しないでも大丈夫だよ。そんなことよりあなたはあなたの人生を本当に送ってきただろうか。そのチェックの方が大切だね。誰かがそう言っていたことをいつの間にかあなたがそう言っていることにしてこれまで生きてきた。そう、一秒たりとも自らの意見なんて存在しなかったわけだ。あなたはあなたを生きることに専念しよう。そんな簡単にはいかないけれど、残り時間で格闘するに値すると思うんだけれど。それは自分探しじゃないよ。そんな言葉も操られているんだからね。