現代の呪詛

日々

呪詛

ネットのSNSはいつも色んな情報がどんどん流れてくるけれど、人の悪口も同じだけ増えてきたね。だからSNSはできれば見ないようにした方がいいと言われるのは、お祝いの言葉が少ないからだね。悪い噂はあっという間に拡散され、やがてそれが真実になり、そして呪いの言葉がどんどん積み重なってしまう。現代の社会で呪いの言葉など誰も信じることはない。そんなオカルトで科学的根拠が乏しいことなんて迷信だと一笑に付す。けれど実際はどうだろう。友達にネットで死ねと書かれた小学生が、現実に自殺している。テクノロジーで動いているネット社会でも、呪いの言葉が成立するんだよ。最近ではそのようなことに対して厳罰化を求める動きがあるけれど、まるで江戸時代に呪いの藁人形が禁止だというお触れを出すようなことと同じに見えるね。

言葉の力

言葉は単に言葉であって、紙やディスプレイに一定の形に見えるように配した黒点に過ぎない。インクが紙にしみている模様を見て文字として認識している。昔も今も標語や目標なんかは半紙に墨を使って書いたりするね。それと同じように呪詛も書いたりする。それ自体は墨が染みた紙にすぎない。それが言葉によって命をも奪うパワーを秘めている。科学という言葉でできた理屈でもって、その墨が染みた紙をどれほど分析してもおそらく成分以上の何かは見つからない。したがってそれが命を動かすようなパワーを持ちうるというエビデンスはどこにも見つからない。だから現代に生きる人はそれはなんでもないことだと「理屈」によって決めている。でも実際は違う結果が出ている。そうするとエビデンスに基づく科学はそれをバカにして認めようともしない。それが科学至上主義の社会であり、いわば現実や自然もすべて理屈で説明可能だという現代社会の根本思想だね。よって、オカルトや魔法はもはやアニメの世界だけとなる。

あなたも自然の一部

理屈をこねくりまわしている現代人でも、そもそも自然の一部であることは間違いない。昨今では除菌、抗菌、飛沫防止など様々な「言葉」が飛び交っている。そしてそれが病にならない切り札かのように喧伝している。ところが大切なことを人は忘れているね。あなたも動物であり、自然の一部であるという絶対的事実だね。ウィルスと細菌の違いなんてわからないしよく知らないけれど、除菌や抗菌や殺菌は大切だと思いこんでいる。ところが、実はあなたがその細菌源でありそれらを引き連れて共生している親玉だということに目をつむっている。びっくりするぐらいの細菌のおかげであなたは元気にそこにいるんだよ。あなたはあなた以外のものをすべて「汚い」という呪詛によって、他人を見たら細菌の塊のように見えるようになってないかな。それが現代の呪詛そのもの。そして実際に呪詛で人は死んでいくんだよ。エビデンスなんて気軽に言うやつは詐欺師か、もしくは呪いにかかって真実が見えなくなっているんだよ。きっとね。