ポチッとな
楽しみを味わう
どれだけ美味しい料理でも、大好物のフルーツも、味わうことができるのはほんの一瞬だね。今日もいつも通っているレストランで大好きなメニューを注文して満足して帰ってきたんだけれど、今では次に訪れるのはいつにしようか、なんて思っているんだからしょうがないことだね。つい数時間前にあれほど味わったというのにまだ物足りなくておかわりを考えているなんて、味わい尽くすというのは現実には不可能なことなのかもしれない。それと同じように充実した毎日とか、幸せに溢れる日々というのも観念上で考えているだけの架空の言葉であって、それを実際に実行するなんて本当はできないんだろうね。そんなふうに考え始めるとすべてが怪しくなってきて、さっきまであれほど美味しい料理を食べて満足していたことなんてどこかに吹き飛んでしまっているね。堪能できて小一時間ぐらいが幸せの時間としての関の山なのかもしれない。
苦しみボタンを連打する
幸せなんてほんの小一時間ぐらいしか体験できないものとすれば、苦しみはずっと続くような気がするのはなぜだろうね。良いことは一瞬で悪いことは永遠なんて感じている。でもあなたはあなたをよく観察してみると、苦しみをまず起動しているのはあなた自身なんだということが判明するね。何かに夢中になったり、集中して作業をしていたり、忙しくてタスク処理に追われているときには苦しみとか悲しみとか楽しみとかという喜怒哀楽が起こらないね。それはあなたが喜怒哀楽モードスイッチを押せないまま別のことをしているからだね。さらに、楽しみスイッチはほとんど押さずに悲しみスイッチばかり連打しているあなたがそこにいることに気づいたかな。そう、どのスイッチを押すのかは実はあなたが選んでいるんだよ。ということは、本来の苦しみも楽しみと同じぐらいの時間しか堪能できない仕様となっているのに、あえてずっと押し続けているのはあなたにとってそれが都合がいいことだからだろうね。
自分をみているあなた
そうやって、日々好きなモードで過ごしていることが実は幸せそのものだね。だからどうひっくり返っても幸せでいることは確定している。いやいやそんなことはないとあなたは反論するね。もっとお金持ちに生まれたかった、もっとかっこよくきれいな姿になりたかった、もっと偉くなりたかった、もっといい会社に勤めたかった、などキリがないね。でもそんな不満が渦巻いているからこそ、大好きなメニューをたまに食べて小一時間は料理に舌鼓を打つという至福な時を体験できている。まさにそれを体験するために生まれてきたと言ってもいいぐらいだね。たぶんずっと幸せだったら、好きな料理をそれほどワクワクして楽しむことが難しくなってくるね。基本幸せすぎるあなたが、その幸せを外から見て感じることをしたいがために、わざわざ背景を真っ黒に塗り続けているのが今だね。苦しみスイッチを押し続けるのにはそういう理由があったんだよ。