見掛け倒し

日々

写真の中のあなた

あなたの見ているものはすべて幻想だよ。そんな事言うとあなたは反発するか、呆れて相手にしないかな。刻々と変わり続けるあなたが今どんな状態なのかを考えてみるとすぐに気がつくと思う。アルバムを引っ張り出すまでもなく幼い頃のあなただとされているその写真の中の人は、およそ今と別人。だけれど、目元が一緒だとか面影がそっくりということであなたの若かりし頃の姿だと推測している。そう、あくまでも推測するしかないことに注意だね。おそらく写真の姿が目の前のあなたに変化したんだろうという当てずっぽうでつじつま合わせをしている。それも過去の写真を今見て、見比べている。今あなたは同一人物だと判定されたわけだね。写真を撮った時の思い出もまちがいなくあなたの記憶と合致しているならさらに確信を得る。けれども実はそれは弟の写真だったと後で母親に言われてびっくりしたりするね。赤子の頃の写真なんて半世紀も経てばよくわからなくなってくる。照合する記憶もないからね。

見たいものが見える

そう言われたらそうだと思うことができるのは、見たいものだけをそう見ているからだね。赤子の写真をおそらくは自分だと思っている。あるいは複数の写真を比較してこれが弟でこれがあなたとようやく判別できる。それぐらいのものだし大きく姿形が変わっているね。そして今あなたはどんな姿かは、あなたがほとんど決めている。だからあなたを見た誰かが言った一言にひどく動揺したりするね。そんな風に見えているのかと。あなたはあなたという自己像を都合良く妄想している。そしてそれも徐々に変化しているけれども、あなたが主張したい部分と人から見られている部分には乖離がある。ということは同じ写真を見ているけれど、人によってどんな風に見えているかなんてわからない。気になるところをそれぞれが見て全体のイメージが勝手に作られている。無論あなたも間違いなく見たいものだけを見ているね。

世界をどう見ているか

さて、それがあなたが言う世界を構成している一部だとすれば、世界はまさにあなたが創り出していて、唯一無二のあなただけの世界があなただけにしか見えていないことになる。いやいや、ネットやニュースで見聞きしていることは同じだし、どちらかというと常識人として世間とのズレを常に気にして補正しているとあなたは言う。その心がけがそうであってもあなたは一部の情報にしか触れていないし、触れられない。触れられないものは実はまさに目の前にあるんだけれども、あなたが見たいものしか通さないというフィルターによって見えなくなっている。見えないものはないと勝手に処理するようになったのはいつの頃からだろう。見えないことを見ようとしていた頃があったような気がしているね。そしてそれは今でも同じ気持ちでいる。だからこそ希望や夢をいつまでも持つことができるからね。でも、ここ最近ではそれも少なくなってきたかな。そう感じたならば「見たいものしか見ていない」ことを少し思い出してみるといいね。そして今そう見ているあらゆるものも姿かたちはどんどん変化し続けているということも思い出してみて。同じものは存在しないし見えている姿もあなたの創作だということ。見かけに惑わされないその向こう側を見ようとすれば今まで通りあなたの目の前にあなたの思う姿で現れるというわけさ。