言葉選び
やりがい
最近はやりがいなんて言葉を使うと、ブラック企業に認定されたりやりがい詐欺とかでどちらかというと利用されるから気をつけろという風潮にある。でも、やりがいは搾取されるものではなくて本来は自ら見出すものだと思うんだけれど違うかな。やりがいなんて人からなんだかんだ言われた時点でやりがいでもなんでもなくなってしまうね。やりがいとは自らが見つめている到達点であり、こうなったら楽しいだろうなとわくわくしている状態そのものを指す言葉でしかない。なのにそれが「搾取」されているなんていうのは一体どういうことなんだろうか。
濫用
やりがい詐欺とか言われ始めたのは、やりがいという言葉を雇用主が求人広告などで発信し始めたことが原因だね。あるいは自分探しとか適職とか様々な文字がマスメディアやネットで飛び交っているけれど、ほとんど本来の意味ではなくてその文字を見た印象から喚起される印象やイメージを利用している。青春やマイホームや人生設計などもすべてが商業化された宣伝文句としてのイメージが強くなってしまった。人生を踏み外さないとか、安定した職業とか、笑顔が絶えない家庭とか、そういうものはすべてまやかしの言葉だね。たとえば本当に人生を踏み外してひっくり返っている人はどこにもいない。アウトローに生きている人はたくさんいる。それが人生を踏み外したことになるのかどうかは厳密には誰にも判断がつかないね。そういう無責任に解き放つ言葉によってあなたの人生はほとんど知らない誰かに牛耳られてしまっているわけだね。
言葉探し
言葉が世界を作っている要素だとしたら、言葉を濫用したり誤用することを放置していては世界が歪んでしまうね。だから普段から何気なく使っている言葉に注目して、本来の意味とか印象とかを注意深く見る癖をつけてみるといいね。するとたちまち人生が変わる。当たり前だね。言葉があなたの今の状況を創り出しているんだから、言葉を選んで構成要素を変えたら全体ががらっと変わるってわけだ。特にSNS時代ではどの国の言語にも省略される傾向があるね。了解しましたという返事が「りょ」とか、どんな驚きや良いも悪いも感情表現が「やば」の一言だとか、そういう使い方を少し丁寧に表現しなおすといい。言葉を選んで紡いでいくと自分自身と向き合うことになるのはそういうこと。それはまるでぴったり・しっくりくるお気に入りの服を探しているようにね。