たまにはオフライン

日々

情報化社会

今では一瞬にして情報が駆け巡る時代になった。そのおかげでとても便利になったね。今まではちょっと調べ物をするにも図書館に行ったりして書籍を探してその文献目録を作るところから研究などは始まった。今ではネットに繋がるところにさえいればその場で関連情報や書籍、引用文献が手に入るようになった。昭和な頃では、文献がどこに所蔵されているかのデーターベースはネットで調べられたから、それをもとに地方の大学の図書館に実際に足を運んで一日かけてコピーを取ったりその場で記録したりしていたんだよ。そうやって情報は手間暇かけて最終的には足で得ていた時代だったからこそ、誰かがそうして作ってくれた文献目録だけでもありがたがられたんだよ。

文章力

そうやって便利になりすぎると、今度は読むのが面倒だという風潮になるね。小さな文字を追っていくこと自体が苦痛な人が多くなってきた。動画で3分でまとめてもらった方がわかりやすいし、通勤通学の途中でスマホ片手にながら聞きしたら一発でつかめるね。文章も映像化してアニメや漫画にしてくれるともっと直感的に分かる。しかもそれは言語の壁を超えて世界中で見られるようにもなる。だから今は長々とテキストを読むよりも、要するにこういうことだよと動物のキャラがアニメーションで教えてくれるYouTubeの方が情報リソースとしては価値が高まっている。さらには短くまとめた動画でさえ、それを2倍速で聞き流すことで時短にしている。それほど多くの情報をキャッチアップしないと時代の片隅に追いやられてしまうという強迫観念が多くの人に植え付けられた時代でもある。

情報統制

そういったネットはテレビや雑誌と違ってコマーシャルが絡まないから公正中立だと信頼度が増してきた。けれどもいまやその立場が変化してきて、ネットも広告が収益の柱になってきて、スポンサーに変に媚びたりはしないけれど事実として体制側としての地位を獲得しつつある。だからYouTubeでさえも自由に動画をアップロードできるわけでもなく、デマや嘘やおふざけのものは抹殺されるようになってきたね。米国の元大統領のSNSのアカウントは一企業が停止するということも起きてきた。いくらそれがデマゴーグであろうとも、ネットの自由度に私企業が政府に忖度して強制執行で使えなくしてしまう時代に突入したね。これからはおそらく反逆分子はそういう体制のメディアから徐々に離れてしまうかもしれない。それこそ中東の国で起きていることのようにね。デジタル・デトックスの重要性がますます増してくるときに、あなたは米国企業のアプリがつまったスマホを捨てられるだろうか。せめて電源を切ってオフラインになる時間を作った方が心の中立を保てるのかもしれないね。