想定外は計画的に

日々

予定

真面目なあなたは旅をするにも事前に綿密な計画を立てているね。この便に乗って何時に到着して、その後どこそこへ観光に行ってその日の宿に入る。その後夕食までに時間があるのでひとっ風呂浴びて周辺を探索しつつ帰りのお土産を何にするか物色する。そうやって巡るルートをぐるりと回ればちょうど夕食の時間に宿に到着する。すばらく完璧で無駄のない計画だし単位時間あたりの充実度は最高クラスだろう。ところが現実は計画通りにいかない場合が多いね。まず定時発着を前提にしていた便が機材トラブルなどで大幅に遅延。それに伴って到着時刻も遅くなる。すると観光して宿に向かって夕食の時間までのお楽しみの時間が予定がすべて繰り下げになる。それどころかいくつかは諦めないと辻褄が合わないね。そうこうしているうちにバタバタと1日が終わり、せっかくゆっくりくつろぐ予定だった旅自体がこなすべきタスクに変わってしまっていることに気づく。そして寝床にいるあなたはもうやり残した仕事のことを考え始めてしまっているわけだ。もはや旅を満喫するどころではなくなってしまっている。

テーマ

そこで方針を変えてみよう。今度は事細かに旅のしおりを作成するのではなくて旅の目的を簡潔明瞭に決めるようにした。例えば「温泉でゆっくりつかって美味しいものを食べる」とかだね。そうすると、それが基準となるので状況が刻々と変化してもそれをやるためにどうするか、を考えるだけでいいことになる。そして思いがけない隙間ができれば、その場で何ができるかを瞬時に判断して観光なりお土産品を探したりする。もちろん、迷ったらノーだね。目的となるテーマに戻ればすぐに判断できる。温泉でゆっくりできるのか?という問いと、美味しいものを食べるのに邪魔にならないか、の2点だけを考慮すればいい。そういうテーマをしっかりと設定することで行動の自由度がぐんと広がったりするいい例だし、これが複数の友人たちと行ったとしても旅の道中のいざこざが減ったりするからオススメだね。

精密さ

でも普段求められているものは、緻密さが優秀さのように捉えれていて細々と説明したりすることが普段は多いんじゃないかな。これには大きくわけて3つの理由があって、その3つの事柄にはさらに5つの要因によって発生していると考えられ、その結果としては2つの事象として認識しているのですが、その事自体を評価するに、わたしの気持ち的にはありよりのなしなんです、とか言われても情報が多すぎてとっさには理解できないね。でも相手を煙に巻くために中身がなんにもないことを複雑化していかにもそれっぽく表して、相手が面食らっている隙きにスタコラサッサと逃げることによく利用されたりもしているね。「人生の苦労とは苦労をするためにさらに苦労を重ねることだ」なんて一見なんだか深い意味がありそうで、実はなんにも意味なんてない。でもそれっぽく聞こえてしまうから不思議だね。目的やテーマを簡潔明瞭でシンプルにまとめると「物事の大半は無駄ばかりなので無駄を省くための無駄をへらすことができる」よ。なんてね。