先送り
やりたい放題
本来は他人から指示されることを嫌うあなたは、あなた自身ですべてを決めて実行するのが好きだね。多くの人は指示してもらう楽さに慣れてしまうのは、学校教育現場だと思う。先生の指示をじっと待っているだけの訓練とも言えるね。だってまだ何も指示していないのに先読みして勝手に始めたら大抵は褒められるどころか怒られることが多い。なら気が利く才能があるけれどそれは一旦隠しておこうとする。そうして自主性や自発性をどんどん削ぎ落として従順な国民を大量生産しているのが今の義務教育の実態だね。そうやっていうと大抵の人はぎょっとする。そう、どうしてぎょっとしたり心が揺さぶられるのだろう。もうそれは言わなくてもわかるね。自分がそうして身につけてきたことに対して全否定されているという恐れからだね。あなたはそれを真面目に取り組んだおかげで今でも会社での処世術にとても役立って、肩書も地位もそれなりの収入も得て豊かに暮らしているだろう。それが正解だと言わんばかりに、我が子にもその道をできたら望んでいるのが本音だね。本来やりたい通りにやれる立場にようやく近づいてきた。正しいことをやりたければ偉くなれ、なんてかつての上司に言われたことを思い出しながらね。
好きに生きる権利
そうやってあなたは従順に学校のルールや社会や会社のルールを遵守して、ようやく権限というものを獲得したね。とは言っても何もかもすべてを自由に決定できるなんてものではなくて、ほんの少しの部下に対してほんの少しの予算をあなたの承認のみで決められるってわけだ。それだけでもちょっと鼻高々だね。この世をプチ謳歌していたわけだ。ところが最近風向きが変わって、45歳定年とかで寄らば大樹の陰と我慢に我慢を重ねて勤めてきた会社のルールを変えようとする風潮がやってきた。ようやく少しの権限を手に入れたあなたにとっては逆風だね。そんなこと許されるはずがないと憤る気持ちもわかる。幸いにもそういう同士が多いようで早期退職制度なんてそう簡単には執行されずなんとか逃げ切れるかだけを毎日考えるようになったね。一方でそれでいいのかというあなた自身の問いもある。なにかにすがり、忠実にその命令に従っている見返りでご褒美のように地位と権限を手にはしたものの、少年の頃に思い描いたような何もかも自由にできる裁量が与えられるわけでもなく、それは会社側の人間、すなわち統制する側に加担するかわりの褒美みたいなものだという違和感もまだ残っているね。いつかの少年の頃の魂を売り払ったかのようにね。
首根っこ掴まれている
自由にもっと世間を渡り歩きたいと願っているんだけれど、なんせ先立つお金が毎月必要だね。だから生活のために我慢するという人生が正しいと学校でも習った通りにやってきた。その努力の甲斐があって今こうして世間並みの暮らしができている。だからこれが人生であり正しい生き方なんだと思わざる得ない。なんだ、結局自由になるために努力し我慢してきたのに、結局は自由になれないように知らない間に首根っこ捕まえられている。これでは従順な家畜と同じだね。暴れるとすぐに屠殺されてしまうかもしれないけれど、従順なふりをしていればその順番は遅くなると思っている。でも結局はそのせいで本当は駆け回りたい野原を目の当たりにしつつ、ぐっと我慢し続けている。それなりの地位と収入を得たあなたも気がつけば人生後半だね。そのままではおそらくその柵を飛び越えてその向こう側を見てみたいと思いは叶わぬ夢となってしまう。かつての少年の勇気は今でも胸の中で密かに燃え続けている。続けているからこそ苦しみが今も続いているんだよ。消すか、燃え尽きるか、それは今しか決められないことだよ。もちろん決められなくてずっとここまでやってきたね。そして足元を見れば断崖絶壁がもうすぐそこに見えているね。飛び越えるかそのままにするかの稟議書が毎日あなたのもとに承認を求めているってわけだね。さて、今日も見送る?