昔話は今に生まれる

日々

昔話

あの頃はああだった、こうだったと昔話に花を咲かせる。そんなとき必ず起こる記憶のすれ違いがあるね。あれ、あれはそうだっけ?ということが何度もある。それも古い話ほど記憶が曖昧で誰一人同じことを言わないもんだから、一体全体どれが本当なのかも決めあぐねてしまう。そんな話の中で、あなたは人知れず当時のとっておきの思い出を楽しんでいるね。もちろん、目の前の親友たちにも内緒な思い出をね。ああ、そうだった、そうだったとたいそう盛り上がったね。どうして昔話はいつも楽しい時間なんだろうか。それはきっと悪い話も蘇ったりするときもあるけれど、それよりも今を共有していることの喜びが大きいのだろうね。昔話している今が楽しくて仕方がないといったところかな。

当時の夢

竹馬の友というか知己たちと盛り上がったところで、そういえば当時の夢についての話に変わる。子供の頃の夢の話だね。それが大人になった今から答え合わせをしてみると、そのとおりの人生を歩んできた人もいないわけではないことに気づくね。ああ、そういえば幼い頃からそう言ってたな、とか、なるほどあなたはそうなるだろうと皆が予想していたよ、とかまさに天職だと思うと多くの仲間が同意する。一方でほとんどの人は将来の夢など叶うわけもなく、そのはるか向こう側を生きていることが多いね。またそのギャップが楽しかったりして急に若かりし頃に戻って無邪気に笑っている。そして夢は叶っていないのにも関わらずなぜか悲壮感もなくただ楽しんでいるように見えるはずだね。

三々五々

ひとしきり懐かしく楽しく、そしてほんの少しの切ない思い出とともに旧友たちとの別れがやってくる。それではまた次も会おうねと三々五々に去っていく。その様子を見てあなたは微笑んでいる。昔話で盛り上がって懐かしく思い、過去の夢を思い出すことで今を共有できることの喜びを感じているからだね。そう、あの頃は良かったと言いながらも、一番いい時間はまさに今過ごしている。いくつになっても、年月がどれほど流れようとも「今」が一番だということを改めて噛み締められたからだね。歴史は夜作られるという言葉があるが、過去も今作られるんだよ。若い頃は良かったで終わると後ろ向きになりがちだから、常に今しか楽しめないとなんとなく悟ったわけだね。