おいくらかしら?
何を見るか
真新しいスマホを手に入れたら、やっぱりいつまでもきれいな状態で使いたいと思う人が多いかな。新車とか新築とかなぜか人は新品が特別に感じるみたいだね。最近では新品じゃなくてもいいじゃない、なんてフリマのテレビCMで歌っていたりするけれど、新品が特別という感覚について少し考えてみよう。神経質な人は、新品なのに少し傷がついているとひどく落ち込んだりするみたいね。それは新品はピカピカでないといけないという絶対的な価値観がそこにあるということだね。あと新品だから支払った対価に対して期待以上の見返りがなかったということでもある。実際モノの買取価格なんかは小さな傷でも減額されるみたいだから余計にそう思ってしまう状況は揃っているね。でも普段使うモノなんだから傷つくのは当たり前なのに、だからこそピカピカという状況に特別な何かを見出しているということなのかな。
古き良き
生き物で新品という感覚はないけれど、ペットでは同じく生まれたての方がいいという相場があるみたいだね。しかしそれはもはや先の真新しいスマホと同じ扱いを受けているといっていい。一方でもはや新品では手に入らないものなんかの価値はそこにはないのかな。そう思っていたけれど、それが万が一新品同様で見つかればびっくりするぐらいの高値がつくらしい。なるほどそれは希少価値だろうけれど、新品が一番という人が多い世の中で、希少で古いモノに対しての需要がそれほど多いとは思えないんだけれど、それでも一定の価値がそこにあるのは途切れることなく欲しがる人がいるからだろうね。有名なところではバイオリンとかワインとかは真逆な価値観がそこにあるね。
価値
手元に使い古したモノたちがある。今中古で売ったところで二束三文だろう。でも市場価値があなたにとっての価値だろうか。今でも毎日あなたの暮らしを支えてくれているね。もちろんあなたはその気になればいつだってそれを新品に交換することもできるし、そうなれば今まで使っていたそれをすぐさまゴミ箱に捨てることも厭わないね。だって2つはいらないものという現実はある。あなたの体が一つなのにたくさんあったところで使いみちがないね。でも人によっては使いみちを見出す人もいるから一概には断定できない。けれどそのモノの価値を決めるのは市場価値ではなくて毎日使っているあなたが一番良くわかっているはずだよ。現代の資本主義社会では価値はお値段として表される事が多い。だから命に対する償いも「金額」が判決としてくだされるわけだね。さて、あなたは幾らのお値段で売れそうですか。たぶんびっくりするぐらいあなたが思っていた価格とは違って安いお値段になるかもしれないよ。