のらりくらりがちょうどいい
話が合わない
そもそもあなたが話していることと相手が思っていることが全く噛み合わないのは、前提としている何かが異なるからだね。例えばあなたが正面の花を説明しているのにも関わらず、相手はその向こうの花についてだと思っていたりするとうまく伝わらない。それどころか、細かいところになればなるほどどんどん乖離していくね。もともと違うものだし、さらにあなたなりの表現技法でそれを説明するもんだからどんどん噛み合わなくなって、ついには二人で大きなはてなマークが頭上に浮かんでいる状態になる。でも何かを言葉化するときは足がかりという前提条件が必要だね。なんにもない無から言葉化できればそういう誤解も防げるだろうけれど、言葉にするということは誤解を生む要因を作っているとも言える。そのことをまずは念頭に置いて話すことをオススメするよ。結局はそういう仕組みから、あなたの言葉化したその思いを理解する誰かは初めからどこにも存在しないことがわかるからね。
真心を込めて
身も蓋もないような事実を知って少し絶望したかもしれないね。あなたのその思いはその人に伝わることはあり得ないこと。それは前提としているなにかが全く違うから永遠に噛み合うこともないし、あなたのありったけの語彙を駆使して粋な比喩表現を施したとしても誰かにそれが伝わる可能性はゼロということ。イヤイヤそんなことなくて、表現手法を褒められたこともたくさん経験としてあるとあなたは思っているね。その表現方法を褒められたあなたは本当のあなたなのかな。そもそも褒められたあなたがそこにいるという前提は広く共有されていることなのかを疑ってみるといいね。あなたは得意な文章表現技法と語彙とメタファーを駆使して言葉化することで、きっとこの気持が相手に伝わると信じている。その信じる力はどこから来るのだろう。あなた自身がそれを生み出しているのだとしたら、あなたは何でも生み出すことができるってこと。それなのに誤解やいわれのない批判を受けて苦しんでしまうことがあるのはどうしてだろうね。
ことは自然に起きる
さっきまで笑顔だったのに今はその表情が曇ったように見える。あなたはその原因を特定してもとの笑顔に戻そうと躍起になる。それが功を奏してまた笑顔が戻ればあなたのせいだと思いこむ。実は全く関係のないことでそうなっていたとしてもね。もしくははじめからあなたが全くの見当違いをしていて、相手はなにも感じていなかったのに勝手にあなたがそういう表情だと読み取ろうとしただけかもしれない。そもそもいつもの苦しみとか悲しみとかたまたまそうなっているだけで理由などない。もちろん原因や犯人探しはできるかもしれないけれど、それは多くの幹の中のあなたがたまたま見つけた一つを指差してこれが犯人ですと思っているだけだね。そもそも楽しい気持ちとか苦しい気持ちなんていうあるのかないのかもわからないものを取り立てて大騒ぎすることもないし、それを感じてるあなたがそこにいるという前提も誰にも共有できないものなんだし、取り立てて言葉化しようとしたりこの思いは必ず伝わるとか思い込まないほうが楽になるならそれがいいね。伝えたいという承認欲求があると思いこんでいるあなたという存在さえ怪しいんだからね。楽しめばいいのさ。