それゼロというよりマイナスですから

日々

手加減

強いものが弱いものに対して少し力を弱めてあげるということを「手加減」と言うね。レベルというかいる場所が違う人に対して全力でぶつかると「大人げない」と言われてあまり良くないことだと思っている。師匠と弟子の関係性ではなおさらで、手加減するもなにもそのスタート段階にも立っていないということがよくある。だからそれは基本からやっていくことになるんだけれど、考えてみたら誰もが最初から達人だったわけでも、強かったわけでもない。ということは今手加減するとかいうレベルではないその若者は、かつてのあなたが必ずその状態であったということを意味しているね。いつの間にか偉くなったように錯覚して今ではめっぽう達人になったんだろうけれど、まだ何もできない若者を蔑んだりバカにしたりする高慢さは一体どこからそういった気持ちを持つようになったんだろうね。もしあなたが一瞬にでもそう感じたならばそれはチャンスだね。人生やり直すことはできないけれど、見つめ直すことはいつでもできるんだからね。

やるかやらないか

あなたには明確な答えがあるね。もちろんそれなりに苦労と努力を人一倍やってきたという気概もある。達人と呼ばれるその日までコツコツとやってきたという自信もある。それが何も出来ない初学者をバカにするという心理と何らかの関係があることにも気づいている。その構造はとてもシンプルだね。何かを手に入れるためにはそれなりの苦労を伴わなければならないという法則だね。あなたはそれを固く信じてきた。だからこそ今達人と呼ばれるほどになったと本気で思っている。だから初学者が何も苦労しないであなたと同じ立場になることが許せないし、にわかに認めることができないね。もちろん自らは謙虚さを大切にしてきたつもりだけれど、あなたはそれなりの風格と佇まいを持っているからこそ、少し周りが恐れている。そのことをあなたは偉くなったように錯覚しているだけだということだ。自らは指摘されなくてもわかっていることだけど、あなたが主体ではなくて勝手に周りの態度がそうだから、それに便乗しているだけというのがあなたの言い訳になるだろうね。

錯覚

一方でそうやって誇れるのもほんの短い一瞬だということもどこかで感じているね。どんどん世代は入れ替わるしずっとあなたがその場から動かないと流れが止まって循環が悪くなる。そうすると水でも腐って周囲に不快な影響を及ぼすね。だから押し出されて転がる石のように、燃え尽きて灰になって飛んでいく紙のように、あなたもすでに無に帰るときがすぐそこに来ている。だからこそ刹那的に色々思うことがあるだろうけれど、結局はそれはあなたの世界ではなくて、いつの間にか誰かの世界とずっと比べてしまっているね。あなたはやりたくてそれをやった。そうしたら初学者が教えてほしいと頼ってきた。それで完結だしそれで十分。他人からの見栄えの地位や名誉なんてあなたのことではないんだから、ほうっておけばいいのに。それにこだわってしまったあなたは初学者よりも地に落ちてしまったね。振り出しに戻る以上のマイナスはすごろくにはないけれど、人生ゲームにはつきものなんだね。