総評
総評がすべて
紆余曲折、人生いろいろあって今こうして目を閉じると覚えていることだけで走馬灯のように映像として脳裏に流れている。今は静かに座ってそれを眺めている。それを眺めているのはあなた。あなたはあなたを少し離れた場所からも見られる特殊能力を持っているね。あなた自身をあなたが俯瞰することができるなんてバグのような能力だね。ま、そこはそれほど深く触れないでおこう。あなたはあなたを眺めることができる。それを見ているあなたは映像のあなたに対して判決を下すね。幸せか幸せでなかったか。いやもっと正確に言うと幸せであった我が人生というテーマなのか、恥多き報われない我が人生というテーマなのかをあなたは決めて総評を書くことができる。そうするとその総評ですべてが決まるようにできているね。たとえその映像が笑顔に囲まれたパーティの思い出であったとしても、「心の奥底ではいつも何かが足りなかった」なんて言う言葉で全く違って見えるからね。
冒険の書
そうやって幸せだったとか不幸だったとかをいつでも書き換えられる。そういう意味では幸せも不幸もあなた次第ということになるし、決して不可逆なものではなくいつでもどこでもすぐさま書き換えられるようなもの。そんなものにあなたはすべてを支配されているとすれば、なんて馬鹿げている一人芝居かと呆れるだろう。またそれを武勇伝とか冒険の書だとかになぞらえて一人悦に浸っているなんて滑稽だね。そして観客はあなただけ。あなたの特殊能力のおかげで満員の観客はすべてあなたが想定して生み出した架空の他人ばかりなんだよ。いつもあなたはそのダミー人形の顔色ばかりを伺っていたとすればそれはもはやパロディでしかないね。そのパロディをお涙頂戴の大冒険活劇として総評すればあなたのそこでのセリフも何もすっ飛んで、そうなる。それが総評が持つパワーだとも言えるね。
あなたでないあなた
冒険活劇の思い出の映像はあなたの脳裏にまだずっと流れている。それを見ているあなたでないあなたがそろそろ飽きてきた。審査委員長としてのそれはすでに総評のテーマを決めたようだ。あなたはそれを見てやばいと思って焦っている。なぜならあなたの機知に富むセリフがこの後流れるからだね。でもそれを見て貰えそうにもないような状況だ。総評を書き終えた時点であなたの人生が評定されてしまう。書き終える前に人生で一番のシーンを投影しなければね。そういうときに限ってそのシーンをよく思い出せない。そのデータはどこにいったのかを探しているうちに気がついたらあなたでないあなたは客席からいなくなったようだ。とりあえず総評は保留となってほっとしたというのが今のあなただね。もうとっておきのシーンなんてなくても大丈夫。総評もいつでも書き換えられることも知ったからね。一皮むけたってわけだよ。