目的はなんだ?

日々

スローガン

今は選挙であちこちで選挙公約のようなお題目が唱えられているね。「所得を増やそう」「豊かな暮らしを取り戻そう」「消費税をなくそう」「地球平和を維持しよう」「持続可能な開発目標を」など色々あるようだね。それらの発言を聞いてあなたが気に入った人に一票を投じる仕組みが「選挙」という多数決原理なんだからなんだかみんな同じような主張になるのかな。社会制度のみならず身近なところでもたくさん見受けられるね。資格試験に今度こそ絶対合格とか目標体重を目指すとか何かを買うための貯金とか野菜を1日350グラム食べようとか。いわゆる目標だったり指標だったりする。そもそもそれらは身の回りの「足りない」を生み出しているね。満たされているものにはそういうものがない。「とても幸せだ」とか「お金が余っている」とかはわざわざ声を荒げて唱えたり、スローガンとして掲げたりしないね。目標を紙に書いて掲げるということをよく考えてみると、それらを掲げた瞬間にすぐさまには叶わぬこととして認定しているね。もちろん叶ったら貼り付けたポスターは剥がすだろう。でもそれと入れ替えに次のスローガンがきちんと準備されていたりするね。

叶わない夢

だから目標とか目的なんて本当は必要ない。生きる目標なんてもともとないし、動き回るのにいちいち目的なんてない。楽しかったり悲しかったりするのもなにもない。あなたはそこにただただいるだけ。そんな人生なら生きていても仕方がないと思うのは、目的や目標が必要だと思いこんでいるからだね。どうしてそう思ったかを考えてみると目標を掲げてそれに向かって生きることが立派なことだと教わったからに過ぎない。なんかよくわからないけれど生きているというのが真実に近いね。だからこそあなたが楽しくなるような目標や目的を好き勝手に決めていい。すぐに達成できるような小さな目標にして次々にクリアして優越感を感じるのも良し、ちょっと手が届かないような大きな目標にしてじわじわそこに少しずつ近づいてニンマリするも良い。でもそれらの目標設定の目的は「あなたが楽しめる」ということだよ。だから叶っても叶わなくてもずっと楽しい。ということだから目標とか目的は不要なのだよ。

努力と苦労

旧来は努力や苦労は美徳とされていたね。臥薪嘗胆、欲しがりません勝つまでは、などまさに国家を挙げてのスローガンが掲げられていた。けれどそれは苦い歴史の一コマとなっている。楽しくないスローガンなんてない方がいいね。たぶん苦行を厭わない若者を必要とした時にこそ、そういうものが出現する傾向にあるのかな。このご時世に相変わらず選挙カーや街頭に立って拡声器を使って大声で「あるべき国家」や「不備のある政府」を論じている。それらはたぶん声に出した瞬間に叶うことはないのだろう。さて、色々要約すれば平等で平和で所得が倍増して若者が安心して暮らせる国家を目指そうとしているみたいだけれど、もしかしたらもう叶っているのかもしれないよ。問題と思うから問題が生まれる。なんてことのない石ころをあなたが拾い上げて、この石があったからあの悲惨な事故は起こったのです、といえばそうなる世界を生きているんだからね。