わかりみ

日々

わかりあえる

あなたにとって不快な存在はあなたがそれを理解できないものだね。全く何を考えているのか、なんのために存在しているのか、意味がわからない。そんなものを避けたり嫌ったりする。それが理不尽にもあなたのそばから離れないとなると最大の苦しみを味わうことになる。だから嫌な人や存在からは距離を置くのが大切になる。精神的に参ってしまうぐらいなら視界から遠ざけて気にしないのが一番というわけだね。ところがよく考えてみるとあなたが単に選り好みしているだけでほとんどの存在は理不尽であり理解の域を超えているものがほとんどだね。特に大好きなものと大嫌いなものはあなたの中では確固たるものとしてあるようだけれど、その境目になるととたんになんだかよくわからなくなってくる。つまりは絶対的にあなたが理解し合えてわかり合える存在なんてこの世のどこにも存在しないんだよ。大抵はあなたが一方的にわかったつもりになっているだけなんだ。

一緒にいるなら

だから一緒にいるなら価値観や趣味があって、考え方が穏やかで思いやりのある人が良いと思いこんでいる。けれどそれはどうだろうか。そういう神様みたいに博愛であなたにちょうど都合のいい人がこの世にいるのかな。そんな奇跡の存在を信じてずっと待っているのだろう。けれどおそらく何万人と出会えたとしてもそれにぴったりの人はいないだろう。だからどこかで妥協して無理やりある人を理想の人としてしまう。ところが100点ではなく80点で妥協したものだから残り20点がとても気になって仕方がない。そもそも80点だからそうなるね。それならあなたの採点が0点の存在のほうがましかもしれない。その前提としてわかり合えないから一緒にいると思うことができれば、その方が毎日新鮮で楽しいね。0点からどんどん1点でも加点されることになるからね。どんなことがあってもそばにいる人っていうのを冷静に分析したら、およそあなたが思っていた人物像とは程遠い存在であることに気がついてびっくりすると思うよ。

写し鏡

でもあなたのことを大切に思わない人や尊敬のない人からは離れたほうが良い。わかり合えない人と一緒にいたほうが良いとは言え、その前提としては心遣いや気遣いがあってのことだからね。ましてや攻撃してくるような状態では側にいるとろくな事がないからスタコラサッサと離れるべきだろう。それはわかり合えるとかいう以前の問題だし、おそらく一時的であっても避難することだ。だから好きや嫌いやの以前に互いに敵対する関係には関わらない方がいい。そうではなくて矢印がお互いではなくてそれぞれ別の方向に向いている人であれば、わかり合えるかどうかよりもあなたの理想がいかに理不尽でありえないかということをあなた自身が明らかにすることが大切だね。さらにその明らかにするためにはあなたとは違う存在がいないとうまくいかない。鏡がなければ身支度もうまくいかないのと同じだね。