その日暮らし

日々

時は金なり

ずいぶんと忙しない世の中になって久しい。時は金なりと呼ばれ今でも労働を時間単位で切り売りしている。そこから随分経った今では、時はお金というよりも人生そのものだという認識が広がりつつある。だからお金も大切だけどそんなことよりあなたの人生どう生きるかとか、何をするかということの方に重点が置かれている。生きがいとかやりがいとかそういうものの方が仕事よりも大切だという価値観が現代風なんだろうね。そういうものに絶対的な良し悪しはなくて、時代は振り子のようにいったりきたりしている。ライフワークバランスとか言われだしたのはすでに30年以上前だから、今ではそんな単純比較ではなくて、もっと何を仕事とするかという定義も生活や趣味と溶け合ってその境界が曖昧になってきている。仕事と趣味を区別したり、仕事と生活を切り離して考えること自体がナンセンスになりつつある。仕事も趣味も家族と過ごす時間もすべてあなたの人生の一部だから本来の姿に戻ったとも言えるかな。

あるべき姿

少し前の充実した人生という定義のほとんどが「仕事」だった。間違いなく仕事で活躍したり功績を残したりする人は誰もが憧れる存在であったわけだね。偉人の伝記などもいかに苦労して寝食を忘れて仕事に没頭して社会を変えたのかということが取り上げられていた。そしてそれをお手本とするような教育だから、そういう立派な大人になりましょうと教えられてきた。なんとなくあなたも仕事と生活というありきたりの問いに対して、仕事があるから生活ができていると未だに思っているのではないかな。生活するにはなんだかんだでお金が必要だし、そのお金を稼ぐにはやっぱり仕事をしなければいけない。だから仕事がなくなると生活ができなくなるという論理だね。またいい大人が仕事をろくにせず働かないで遊んで暮らしている、なんて言われることが屈辱であり社会貢献に反することだと真剣に信じている。恥とまではいかないまでも、令和の今でも働くべきだと心の奥底から責め立てられてしまっているね。

経世済民

お金が必要な社会だから、その中で生きるには働かなければならない。そして少し働いたら1ヶ月暮らせるとしたら、人は少ししか仕事をしないで残りは遊んで暮らしてしまう。だから賃金労働が始まった当初は時間当たりの賃金をぎりぎり安く設定したんだよ。そして恐ろしいことに今でもその風潮が続いている。今では1時間1000円ぐらいが最低賃金として設定されている。この最低賃金は地方によって差があるもののこの底上げをしようとすると経営者の反対もあってなかなかままならないみたいだね。そんなことよりもお上が最低賃金を決めなければ上がらないという社会制度自体に注目しなければならないね。未だこの時間を切り売りするライフワークをもじったライスワークが主流だということ。それはAIの登場によって自動化されるということ。そしてその後はそれで飯を食っていた人があぶれてしまうというシナリオが浮上している。それをディストピアのように語る風潮がまだあるのも、人は身を粉にして労働すべきだという価値観の洗脳が解けない証拠だね。本来は必要な分だけの仕事をして、あとは遊んで暮らすという生き方が「粋」だったわけだからね。今必要でもないのに、ましてや一人で使い切れないぐらい溜め込むのは人だけ。それをやめるだけでも今流行の「エコ」につながるんだけど、そううまくはいかないみたいね。「エコ」と言いながら結局は誰かの金儲けになってしまっているからね。