ホワイトスペース
楽しそう
なんだかよくわからないけれど、楽しそうにしている人を目の前にすると、なんだかあなたも楽しくなってくるね。逆もしかりでなんだか沈んでいる雰囲気に身を置くと、何も理由がなくてもあなたも気持ちが沈んでくる。そういう共感する本能が備わっているね。となると楽しく過ごすためには楽しそうな人に囲まれることが一番となる。自らが努力して楽しみを見つけるよりも、楽しそうな仲間に囲まれていることが一番手っ取り早いね。逆にいつも沈んでいるような人たちとは決別する必要がある。せっかく楽しいのに逆のオーラを身にまとっている人たちに吸い取られてしまうと台無しになってしまう。もっと言えば何よりも重要なことはそういう他力本願ばっかりではなくて、それを実現するためにはあなた自身がいつも楽しませる存在でないと実現しないね。そう、周りのせいにいつもしているかもしれないけれどあなたがまずは最初の第一歩を踏み出さないとダメだということだね。もしかすると一番苦手なことかもしれない。
笑いが絶えない
幸せとはなんだろうとか、不幸にはなりたくないとか、とりあえず生きているだけでいいとか、そんなことを漠然と考えているかもしれない。けれどそれらを実現するのは簡単そうで並大抵のことではないね。そう、楽しくも不幸でもなんでもない生活を維持するということが、実はとても大変だということをすっかり忘れているからだね。その上に生きがいや幸せや笑顔を付け加えようとすると、かなりの高次元でなんでもない生活を維持し続けなければならない。ところが、そもそも生きるという基本能力がかなりかなり高く求められているからそんな遊びの余裕すらないとなる。だからなんでも無い生活が幸せだと言うのは、それ自体は幸せ本体として感じられなくてもプラスアルファの何かを付加するためのベースだということだね。そのベースがなければ幸せも不幸もなにもない。かといってこれは幸せばかりではなくて、なんて不幸だと思えることも同じだね。それもベースがあるからこそなせる技なんだよ。
余白
ベースが満たされてプラスアルファの思考の余白ができて、自らの運命を嘆くことができる。だからまずは今あなたがつまらない人生だと嘆いていることが出発点だね。そう思えたとか言えたことがベースの完成とも言える。だからどうにでもできる余白がすでにある。そう思うこともできない段階ではまずは余白が生まれるベースを構築することが先決だね。そして、その余白をどう使うかという問題になるね。それを不幸一色で塗りたくるのもいいけれど、幸せ一色でもおそらくつまらないと感じるだろうね。幸せの裏側が不幸だとか言う単純な話ではなくて、いずれにせよ単色や一つもので満たされてしまうとせっかくの余白を埋めてしまうことになる。余白が余白であるためには違うなにかの境界がないとそこが余白だということを見つけられない。そこの加減はあなた次第とあるわけだね。うまい具合に調節するのは難しいからまずは誰かのデザインを真似てみるんだけれど、いずれはあなたが余白の量を調整しなければならない。そうなったときに一番幸せを感じるだろうね。