夜空と星

日々

メメント・モリ

今を大切に生きるということは今が特別な瞬間であることを体感できないと無理だね。そもそも今という概念を言葉では簡単に口にできるけれど、本当の今はあるようでない。だから今があることを証明しようとしてもすべては一瞬前の過去の塊でしかないわけで、残念ながらそれは叶わないね。時間は流れ去ってすべて過去だと言えるけれど、そもそも時間すら概念であるとか言うともう何をどうしたらいいのかわからなくなる。理屈を理屈で説明しようとすると果てしなく続く鏡像のようになってしまうからね。なら誰でもわかりやすく一つの指標にできる言葉があると便利だということでメメント・モリという言葉が有名だね。骸骨を持ち歩いた一休さんのように芸術性の方が強く帯びた言葉のように感じられるけれど、死を忘れるな、という言葉の奥にはだからこそ今を生きなさいというコントラストがそこにある。どちらもわかったようで絶対わからないことであることは間違いない。

新品

モノにも新品と中古という概念があって、新品の方が価値が高いものの方が多いね。これも新しい方が壊れにくく長持ちするという定義がそこにある。ということは中古だと価値が落ちるということはそのモノにも寿命があっていつまでも役に立つわけではないということだね。あとは人気があるかどうかとかいろいろなパラメーターがあるけれど、それもみんなが欲しがっている魅力度みたいなもので価格として評価されている。それになぞらえて人も同じようなものだと思いこんでいるのではないかな。若返ることが素敵であって、いつまでも若い人と遜色ない身体を手に入れたいという強い願望が価格を決めていたりするね。でもあんまり良くないと思うよ。きれいになりたいという気持ちは自由に持てばいいと思うけれど、そのために若返りたいという一辺倒で何が起こるかということ、ずっと過去を振り返って生きることになりそうだね。おそらくこの先もずっと今を楽しめないまま終わってしまうのではないかな。だって容赦なくあなたは年をとって老いていくわけで。まぁ、余計なお世話だろうけれどね。

対比

死があるから生がある。死がなければとんでもない世界になるね。生物の中で例えば今後人類は不老不死を手にしたとして、どんな世界になるのだろうかと想像するにも明るくはないね。ずっと辛いことは辛いままだし楽しいこともたくさんあるとしても割合は増えないだろう。さらに子どもを生むこともあまり意味がないね。そしてそれが永遠に続くとなると地球が滅びるその瞬間まで目の当たりにしてその後はどうするんだろうね。ま、これもどうなるかわからないけれど、おそらく生きているか死んでるかもよくわからなくなるだろう。若い人のエネルギーがキラキラ輝いて見えるのは年老いた人の目線からでしかわからない。それと同じで、夜空に輝く星が見えるのは漆黒の空がそこにあるからだね。だからずっと太陽がそこにあれば見えるわけないね。すべてはコントラストの世界だね。死を友だちとしていつも一緒だからこそ、生をいきいきと楽しむことができる。死が友達でないなら生もぼんやりしてしまう。今日が最後の日だとして過ごすことによって今日がより充実した日になるというわけだよ。だからつまらないとか簡単に言うけれどそれは今を生きていないという証拠だね。