ずるい
教育
子どもたちに今の義務教育は巧みに競争を叩き込んでいる。本来の教育では比べることでわかる自らの特性や個性を生かして社会にどう参画していくかを考える力をつけることだね。それに必要な力が「読み・書き・そろばん」であるし、それによって数を数えたり田畑の広さを掴んだり誰かの書いてくれた文字を読めるようにしているはずだね。ところがだ。今は偏差値教育という馬鹿げた前近代の教育をいまだに続けてしまっている。もう数十年も前からその弊害を指摘されているのにも関わらず、記録としての学歴とその後の給料のいい会社への就職という制度から、どうもその単なる悪習慣から怖くて逃れられないみたいね。悪いと思いながらもずっとやめられない病にかかってしまったがゆえに、それでいいじゃないかと開き直っているフシがあるね。そうこうしている間にこの国の国際的な優位性はどんどん落ちているのにも気がつかないみたい。どうもこの国の特性として外国からの黒船みたいな脅威がないと自らで変わることができる力はないのかな。
戦士
企業戦士とか産業革命以降に優秀な労働力を確保するための仕掛けがそのまま残っているってわけだね。その前の明治からの教育制度は優秀な軍事教育であって個性や創造性を豊かに深めていくこととは真逆のことを叩き込んでいる。多少改良したとしても、司令官である先生と部下の生徒という構図はなぜか未だにやめようとしないところからもわかるね。だから現代ではそれにどうしても馴染めず不登校になっている子どもたちが少なくない。学校に違和感を感じる子どもたちの方がむしろ正常であって、教育の場で成績順や得点順で評価して競わせるのは明らかに間違っている。でも大人は子どもたちに対して比べられて生きる人生なんだから、それぐらいの耐性とあざとさを身につけなさいと言う。なぜなら自らもそうやって比べられて、いじめられて、個性を隠して、本音なんて口に出さないように息を潜めて生きてきたからだね。そうした悪循環を断ち切るには社会とはどういう構造かを学ぶ必要があるんだけれど、そのあたりは学校では教えてくれないね。まぁ、そりゃそうか。
ずるい
やがて幼子が「ずるい」という言葉を使いこなすようになる。「ずるい」ことが生き抜くサバイバルレースに勝つコツだと頭のいい子はすぐに掴むからね。そうやって大人に成長すると親も当たり前のように思っている。本当にそうだろうか。それを数十年続けて今の世の中はとても素敵な時代になっただろうか。これからを生き抜く力を身につけさせるには「ずるさ」は必須だと心底信じている社会でいいのか。「ずるさ」がないとなめられる社会をなんとか「少しずるい」ぐらいで過ごせないだろうか。そういうことを親子ともに考えるのが本当の教育だろうね。ところがそんなのは理想であって現実は厳しいとまた大人は口をそろえる。それを突破できないのは自らの力不足だという理由を棚に上げてね。ずるい社会だからとことんずるく生きるしかない。そうして歴史は繰り返されるというわけだ。なんとも切なく儚い浮世だねぇ。せめて子どものたちのことを真剣に考えることができる社会でないといずれ滅びるんだけれど。そんなことを考えたら損する世の中だから、このままいくしかないね。