定量化の罠

日々

あるようでない

目標を掲げて何かをしているとしても、その目標は到達点として仮に設定しているだけで本当のゴールではないね。あと何年たったら何かが実現するとしてその道筋を逆算して計画をたてるけれど、仮にそのとおりにいったとしてもその先は最終地点ではない。目標は一見達成したかのように見えるだけで実はその先の方がもっと大変なことがあったりする。そうやっていつまでもここがゴールだと思って頑張ってみたところで、その先はずっと見通せないわけだ。目標はあくまでも近視眼的な設定に過ぎないね。砂漠の真ん中で最初の一歩をどちらの向きで踏み出すかというきっかけみたいなもので、その先もまた砂漠の真ん中ということが繰り返されている。

絶望

だから目標なんて設定してもそれが最終ゴール地点ではないのだから意味がないと絶望するのは早計だね。最初の第一歩を踏み出すということにおいて目標の役割はとても重要でもあるからね。だからとりあえずの方向を決めるという意味が目標設定のすべてと言っていい。その先も何も現状と変わらないとしても一歩を踏み出す決断は今しかできないからね。それをあなたはあたかも天空にいて眺めているつもりでも、当人はそれで動き出すことができるわけだからそれだけでいいね。いつまでも思案しているだけでは1ミリもそこから動き出すことなくその場でじっとしているという選択肢しか生まれない。動き出すことそのものであなたの人生が始まるんだからね。

到達度

何をいつまでにどれくらいやるか、というものさしでその動き具合を測っている。それがそのまま評価になったりもするけれど、そのものさしもあるようでない。なぜなら目標そのものがあるようでないものだからね。達成度とか到達度を簡単に測るためのテストがたくさん用いられているけれど、それもあくまで概念上のもので実際に手にとって触れるようなものではない。あるようでないことをあるようでないものさしで測って、あるようでない到達度として点数化しているだけである。さらにそれは現代では数値化されて表現されているけれども、そもそも数値そのものが抽象化の記号そのものでしかないね。りんご1つと数えられるから実数は現実かのように錯覚しがちだけれども、個数という数値はある一方向でしか見えない抽象的な表現であって、重さという単位から見ると同じでなかったりする。すなわち具体的に見えてそのものすべてを詳細に表しているものではない。そこを混同しているから苦しくなるんだよ。あるようでないからこそ色んな方向から見ることができるね。その力をフルに発揮することが今を楽しむコツでもあるわけだね。