ダメよ、ダメダメ
ダメと言われても
ルールをちょっと破るという冒険はなぜか少しワクワクするね。もちろん悪戯ですむ程度のことで取り返しのつかないことになると笑えない。遠足のおやつは300円までという奇妙なルールが確かにあった。それで基本それを守ろうとして駄菓子屋にお菓子を買いに行くのだが、ちょうど300円分というのは一目で見て「ちょっと足りない」と感じる。まぁ、これぐらいにしておきなさいという意味なんだろうけれど、せっかくの遠足だしお小遣いも足りないわけではない。もう少し買うことができる。さて、あなたはこんなときどうする?やっぱりちゃんとルールを守るべきだと思って駄菓子屋を後にするのか、嵩張らないお菓子なら多少超えてもバレないかもしれないと買い足すのか。もちろんあなたは買い足すよね。
ルールは不合理
やりたいようにやっていいと仏教では言う。でも一方で戒律に厳しく身を律しなさいとも言う。これだから神とか仏とかの宗教ってやつは信じられないと思っている。言っていることがまるで違うからね。矛盾がないことが信じるに値するルールだとしたら、それはこの世にあるのだろうかね。先の300円ルールは何の矛盾もないピュアな価格設定なんだろうか。宗教は確かに不合理な部分が多い。それはそれが出来た時代背景に大きく影響を受けているからね。要するにまだ科学や技術がそこまでの時代でもなかった。けれども一方で人の暮らしの中の気持ちや立ち振る舞いは変わらない部分も多い。その部分は今でも参考になるね。タチが悪いのは何かというと、原理主義的に信じることだね。それ以外は一切悪であって認めないというとても厳格に信仰することがいろんな悲劇をいまだに引き起こしているのは知っての通りだね。自らの救いのために多くの人を巻き込むことが「聖戦」だと信じている。おやつは300円まで、という件を教えてあげたいね。消費税いれたら330円になるんだよ。令和ではね。それを決めたのは昭和だからね。もしかしたらそのように改定されているのかもしれないけれどね。
天邪鬼
禁止だと言われたらやりたくなる。特にそれが皆がすでにやっていることで、それをしたからと言って直ちに命に関わるとか重大なことにならないと思っていること。例えば高校生が隠れてタバコを吸ってみたり、お酒を飲んでみたりすることはいまだにワクワクするのかな。ちょっと大人に近づいた気持ちになるね。お酒やタバコは20歳からというけれど、厳密に何時何分まで守っている人もいるのだろうか。多くの人は多少前後しているだろう。今はすっかりタバコは社会の害悪までになってしまって、周りの大人も吸っている人が少なくなったから、隠れて吸ったりして大人びるという体験はもう絶滅したかもしれないね。それは一つ憧れるようなシナリオを失った冷めた時代になってしまったね。今は大人になることが悲劇に近いことなのかもしれない。いつまでも若々しくいることが素敵なことだとマスメディアは喧伝しているところを見ると老いることに誇りを持てない時代にしたいんだろうね。若いと言われて喜んでいるというのは、死に対する覚悟ができていないということだね。死を遠ざける社会には、本来の生もなくなってしまう。ダメというルールがなければワクワクしなくなるようにね。